ジョルジュ・デュメジル
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ジョルジュ・デュメジル
人物情報
生誕 (1898-03-04) 1898年3月4日
フランスパリ
死没1986年10月11日(1986-10-11)(88歳)
出身校エコール・ノルマル
学問
研究分野神話学(比較神話学)
研究機関イスタンブール大学ウプサラ大学
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ジョルジュ・デュメジル(フランス語: Georges Dumezil、1898年3月4日 - 1986年10月11日)はフランス比較神話学者言語学者インド・ヨーロッパ語族における比較神話学の構造的体系化を行い、クロード・レヴィ=ストロース構造主義に大きな影響を与えた。
生涯

1898年、パリに生まれる。名門リセ・ルイ=ル=グランで学んだ。ルイ・ル・グラン校第2級学年のとき、クラスのなかに比較言語学者ミシェル・ブレアルの孫がいた。デュメジルはすでにブレアルの『ラテン語語源辞書』を持っており、その級友に頼み実際にブレアルに会った。ブレアルはデュメジルのサンスクリット作文を直し、梵英辞書を与えた。デュメジルは、この時、自分の仕事が定まったと回想している。ブレアルから比較言語学者アントワーヌ・メイエの著作を薦められたデュメジルは、メイエの下で研究することを決意する。

1916年エコール・ノルマル(高等師範学校)のユルム校に首席で入学。メイエのほか、マルセル・グラネの講座で中国語を学ぶ。1917年3月に徴兵され、ヴェルダン、シュマン・デ・ダムなどで主として後方任務に就く。1919年2月、教授資格試験に合格する。その後ワルシャワ大学のフランス語講師になるがすぐに辞職する。

1924年、メイエの指導で、最初の比較神話学についての博士論文『不死の饗宴』を書く。デュメジルが学究を開始した当時、比較神話学は死んだ学問であった。19世紀末にアーダルベルト・クーンマックス・ミュラーなど自然神話学派により進められた比較神話学は恣意的に過ぎるとして権威を失っていた。彼らの手法は語源が一致していれば共通する神話を持っているというもので、初期のデュメジルもこの理論に従っていくつかの著作を発表していた[1]

1925年に結婚し、イスタンブール大学で宗教史を教える。ここでデュメジルはカフカス諸語と出会う。1929年『ケンタウロスの問題』を発表。従来の語源分析をすすめる一方、デュメジルは1930年に古代インドイランにおいて社会階層の三区分に共通性があることを指摘した。原インド・イラン時代に三階層の社会組織があったという仮説はすぐ後に比較言語学者のエミール・バンヴェニストによって補強された。1931年から33年までウプサラ大学でフランス語教師となる。1933年6月、高等研究実習院宗教学セクションの「比較神話学」講師としてフランスに戻る。1934年には『ウラノス-ヴァルナ』、1935年には『フラーメン-ブラフマン』を発表。

講義の準備をしていた1938年、デュメジルはインド・ヨーロッパ語族の三機能イデオロギー、すなわち、インド神話における祭司階級・戦士階級・生産者集団の三区分と、ローマの三神(ユピテルマルスクィリヌス)が対応し、そのそれぞれの職分と機能が共通する構造を持っていることを発見した。これを発表(「大フラーメンの先史」)することによって、これまでデュメジルの比較神話学に批判的だったエミール・バンヴェニストから大きな賛同を得た。

40年代には『ユピテル・マルス・クィリヌス』3巻シリーズや『ホラティウスとクリアティウス兄弟』などを出版し、デュメジルの仮説が一般にも知られ始めるようになる。

1948年、バンヴェニストの尽力によりコレージュ・ド・フランスの教授に選ばれる。

1952年、南米ペルーを訪れてケチュア語を研究、いくつかの論文を発表する。デュメジルによれば、「中国語はケチュア語のようには簡単にはマスターできない」と発言している。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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