ジョニー大倉
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ジョニー大倉
出生名朴 雲煥
別名大倉 洋一
生誕 (1952-09-03)
1952年9月3日
出身地 日本神奈川県川崎市
死没 (2014-11-19) 2014年11月19日(62歳没)
学歴川崎市立川崎高等学校
ジャンルロック
担当楽器ギター
活動期間1972年 - 2014年
著名な家族ケニー大倉(長男)[1]
大倉弘也(次男)
共同作業者キャロル
公式サイト ⇒ジョニー大倉公式サイト

ジョニー おおくら
ジョニー 大倉
本名大倉 洋一
別名義朴 雲煥(出生名)
生年月日 (1952-09-03) 1952年9月3日
没年月日 (2014-11-19) 2014年11月19日(62歳没)
出身地 日本神奈川県川崎市
死没地 日本東京都渋谷区
職業歌手俳優
ジャンルテレビドラマ映画
活動期間1975年 - 2007年
配偶者マリー大倉
著名な家族ケニー大倉
大倉弘也
主な作品
映画
遠雷
戦場のメリークリスマス
チ・ン・ピ・ラ

 受賞
日本アカデミー賞
第5回優秀助演男優賞
遠雷』(1981年
その他の賞

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ジョニー 大倉(ジョニー おおくら、1952年昭和27年〉9月3日 - 2014年平成26年〉11月19日)は、ミュージシャン俳優。本名:大倉 洋一、韓国名:朴 雲煥(??? / パク・ウナン)[2]神奈川県川崎市出身。在日韓国人2世[2]血液型AB型。身長172cm、体重67kg(1982年)[3]
来歴・人物

1972年キャロルを結成し、ミッキー・カーチスのプロデュースでデビュー。キャロルでは、ギターと作詞を担当。矢沢永吉と共に曲作りのコンビを組んで、1973年には「ファンキー・モンキー・ベイビー」などの大ヒット曲を生み出した。1975年にキャロルによる共著『暴力青春』で在日韓国人二世であることを告白する。

同年にキャロルを解散した後は、ソロでの音楽活動を始めるとともに俳優業にも手を広げる。1975年に本名の朴雲煥で、在日韓国人をテーマにした映画『異邦人の河』に主演[2]1981年に映画『遠雷』で日本アカデミー賞優秀助演男優賞を受賞するなど一定の評価を受けた。1980年代からは個性派の俳優としてヤクザ映画オリジナルビデオ作品などに出演している。

キャロル在籍中の1973年には1か月失踪。同年から、山本寛斎へのショー出演の演出のために極真空手をキャロルのメンバー全員で習い始め[4]、その後も精神の安定を図るべく空手のトレーニングを行うようになる。

1987年10月、富山市のホテルで7階のベランダの手すりで懸垂中転落し、全治6か月の重傷を負った[5]。泥酔や薬物乱用が疑われたが、後日受けた取材でこれらの原因を否定し、「ベッドの上に立って窓を勢いよく開けたら、すべってそのまま落ちただけ」と語っている[6]。2001年に放送が始まったTBS系列の番組『サンデージャポン』にレポーターとして出演した時には、「不死身のロックンロールジャーナリスト」と自称した。また2004年には窪塚洋介の転落事故に触れ、「彼も僕も(自殺)未遂じゃない。自分もキャロル時代は何かを埋める為に奇行に走っていた」と理解を示した。「あかひげ薬局」の男性イメージキャラクターも務めていた。

1989年 - 1991年内海利勝高橋ジョージ田中清人らとTHE PLEASEを結成。なお、1988年にはPli:z(プリーズ)という同名のバンドがメジャーデビューしている(1992年解散)。

2004年には自叙伝『キャロル夜明け前』を出版し、矢沢永吉との葛藤が話題を呼んだ。この時のレポーターのインタビューで「矢沢永吉の……栄光の全ては認めます……。ただし……キャロルに関しては、いちもつ言いたい事がございます」と話を切り出しジョニーなりの美学を見せた。

2008年12月、公式HPの休止を発表。サイト上には「この日本がこの世界が益々エゴのぶつかり合いを疑わないでやっている」「ボクはまったく、ちぐはぐな今の地球に少々疲れました」「ボクは少しの間、地球を離れます」などと記した。

2009年7月、同年3月に悪性リンパ腫の治療を行ったことを公表。

2010年8月10日、公式サイトを再開。

趣味は焼肉のタレの仕込み。「世界で一番うまい」と自負する。趣味が高じて、2006年には新宿池袋の焼肉店「キャロル」をプロデュースした(2店舗ともに2009年ごろ閉店)。

2013年6月に肺癌と診断されて余命2週間を宣告された後、抗癌剤治療を経て2014年3月に退院。同年8月に再発し、再入院して治療を続けていたが、2014年11月19日東京都渋谷区広尾日本赤十字社医療センター肺炎により死去[7][8]。62歳没。
家族

俳優・ミュージシャンのケニー大倉大倉弘也は子息[9][10]
ディスコグラフィー
シングル
レコード

「いつになったら / 修理工ブルース」(日本フォノグラム/
フィリップス, FS-1836, 1975年8月5日)※映画『異邦人の河』のテーマ

「ハイティーン・ガール / 愛なき街角」(日本フォノグラム/フィリップス, FS-1865, 1976年3月25日)

「ハイウェイ・サタデイ・ナイト / 川崎リターン・ブルース」(日本フォノグラム/フィリップス, FS-2023, 1976年11月5日)

ジョニー&ダーリン「恋のまちぼうけ / ダイナマイトに火がついた」(日本フォノグラム/フィリップス, FS-2047, 1977年3月25日)

ジョニー&ダーリン「恋する気持 / 涙やさしく」(日本フォノグラム/フィリップス, FS-2055, 1977年6月25日)

「夕陽に走れ / どうせなら派手に行け」(ビクター/Victor, SV-6555, 1979年3月5日) ※映画『総長の首』主題歌

ジョニー大倉&バケーション・クラブ「赤道直下 / Made In Love」(ビクター/Victor, SV-6614, 1979年7月25日)

ジョニー大倉&バケーション・クラブ「熱い太陽 / ロンリー・ロード」(ビクター/Victor, SV-6650, 1979年10月25日)

ジョニー大倉&バケーション・クラブ「愛をこめて(Why Don't You)/ Black Jack Game」 (ビクター/Victor, SV-6712, 1980年5月21日)

「その気になるなは無理だろう / ホットな夢にしてくれ」(ビクター/Victor, SV-7110, 1981年3月25日)

ジョニー大倉&奥慶一「THE GOOD BAD GIRL / THE GOOD BAD GIRL II」 (ビクター/Victor, SV-7295, 1983年7月25日)

ジョニー大倉&ベイ・ジャンク外人部隊「JUNK CITY / チャイナ・タウン物語(ラブストーリー)」』(徳間音工/CLIMAX, CMA-2042, 1983年9月25日)


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