獲得メダル
近代オリンピック
アメリカ合衆国
男子競泳競技
金1924100m自由形
金1924400m自由形
金19244×200m自由形
金1928100m自由形
金19284×200m自由形
男子 水球
銅1924水球
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ジョニー・ワイズミュラー(Johnny Weissmuller、1904年6月2日 - 1984年1月20日)は、オーストリア・ハンガリー帝国出身のアメリカ合衆国で活躍した水泳選手・俳優。
水泳選手の家庭に生まれる。彼が7ヶ月の時に家族でアメリカに移住、ペンシルベニア州やシカゴで育つ。病弱だったため、医者に勧められて水泳を初め、12歳の時にYMCAの水泳チームに参加するようになる。
1922年、デューク・カハナモクが持っていた100m自由形の世界記録を更新。1924年のパリオリンピックでは100m自由形、400m自由形、自由形リレーの3つで金メダルを、水球で銅メダルを獲得。1928年のアムステルダムオリンピックでは100m自由形、自由形リレーの2つで金メダルを獲得。
スポーツ選手が俳優に転身した例はそれなりに多いが、その代表的な存在としても語られる[1]。 ジョニー・ワイズミュラー 選手時代の活躍が業界関係者の目にとまり、1929年、ワイズミュラーは下着メーカーのBVDと契約を結び、モデルとなった。合衆国中を回って水泳ショー、水着のチラシ配り、サイン会、トークショーなどを行った。同年初めて映画『アメリカ娘に栄光あれ(Glorifying the American Girl)』に出演し、イチジクの葉を着けてアドニスを演じた。『Crystal Champions』では本人役で登場した。 メトロ・ゴールドウィン・メイヤーと7年契約を結んでから俳優としてのキャリアが本格的に始まった。筋肉隆々でイメージに完璧に一致したことから1932年の『類猿人ターザン』でターザン役を演じ、世界にセンセーションを巻き起こした。ターザンの原作者エドガー・ライス・バローズも喜んだという。 ワイズミュラーはモーリン・オサリヴァンをジェーン役として6本のターザン映画に出演した。3作ではジョニー・シェフィールドが子役として共演した。1942年にはRKOに移籍し、さらに6本のターザン映画に出演した。12本のターザン映画でワイズミュラーは200万ドルを稼いだと推定され、ターザン役では最も有名な俳優となった。 1971年の世界SF大会に招かれており、参加した矢野徹によると「70歳を過ぎているとは思えない若々しさ」だったという(実際には60代後半)。矢野からターザン・シリーズ(小説)の邦訳が開始された事を知らされると、非常に喜んでいた(エドガー・ライス・バロウズ 「ターザン、フィルムランドへゆく」『ターザンとアトランティスの秘宝』 高橋豊訳、早川書房〈ハヤカワ文庫SF〉、1972年、森優、295-296頁)。
映画俳優
Johnny Weissmuller
1940年
本名Johann Peter Weismuller
生年月日 (1904-06-02) 1904年6月2日
没年月日 (1984-01-20) 1984年1月20日(79歳没)
出生地ティミショアラ
配偶者マリア・ブロック・マンデル・バウマン (1963-1984)
アリーン・ゲイツ (1948-1962)
ベリル・スコット (1939-1948)
ルーペ・ヴェレス (1933-1939)
ボビー・アーンスト (1931-1933)
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