1963年に「輪になって踊ろう」(Loop de Loop)をヒットさせた「ジョニー・サンダー
」とは別人です。ジョニー・サンダース
Johnny Thunders
ジョニー・サンダース(1980年)
基本情報
出生名John Anthony Genzale Jr.
生誕1952年7月15日
出身地 アメリカ合衆国
ニューヨーク州ニューヨーク
死没 (1991-04-23) 1991年4月23日(38歳没)
アメリカ合衆国
ルイジアナ州
ジャンルロック
パンク・ロック
グラム・ロック
職業ミュージシャン
シンガーソングライター
担当楽器ギター、ボーカル
活動期間1971年 - 1991年
共同作業者ニューヨーク・ドールズ
ハートブレイカーズ
著名使用楽器
ギブソン・レスポール・ジュニア
ジョニー・サンダース(Johnny Thunders、1952年7月15日 - 1991年4月23日)は、アメリカ合衆国出身のミュージシャン、シンガーソングライター、ロックンローラー。
パンク・ロックに多大なる影響を与えたニューヨーク・アンダーグラウンド・ロック・アーティストの一人。「ニューヨーク・ドールズ」を経て、自ら率いる「ハートブレイカーズ」などで活動した。 1971年[1]、アーサー・ケイン(ベース)等と共にニューヨーク・ドールズを結成。ジョニーはリード・ギターを務めた。1972年には、激しいライヴや中性的なファッションが注目を集め、ルー・リード、ミック・ジャガーやデヴィッド・ボウイからも絶賛される。 1973年、デビュー・アルバム『ニューヨーク・ドールズ』発表。プロデューサーはトッド・ラングレン。1974年、2作目の『悪徳のジャングル』発表。後期ニューヨーク・ドールズのマネージャーは、後にセックス・ピストルズをデビューさせたマルコム・マクラーレンであった。 1975年夏の日本公演直前にジョニーとジェリー・ノーラン(ドラム)はニューヨーク・ドールズを脱退。このときピストルズ結成を準備していたマクラーレンからロンドンに来るよう誘われたが、断っている。 ジョニーとジェリーは、元テレヴィジョンのリチャード・ヘル(ベース)やウォルター・ルー(ギター)と共にジョニー・サンダース&ザ・ハートブレイカーズ(ハートブレイカーズ)を結成。ここでジョニーはリード・ボーカルも兼任する。間もなくリチャードが脱退し、ビリー・ラス(ベース)を後任に迎える。バンドはイギリスに渡り、1976年秋にセックス・ピストルズ、ザ・クラッシュ、ダムドと共に「アナーキー・ツアー」に参加[2]。そして、1977年に唯一のスタジオ・アルバム『L.A.M.F.』 (Like A Mother Fucker)を発表。 ハートブレイカーズ解散後、ジョニーはロンドンに留まり、1978年にソロ・デビュー作『ソー・アローン』を発表。元セックス・ピストルズのスティーヴ・ジョーンズとポール・クック、シン・リジィのフィル・ライノット、元スモール・フェイセス?ハンブル・パイのスティーヴ・マリオット、プリテンダーズのクリッシー・ハインド、オンリー・ワンズのピーター・ペレット 1985年に初来日公演を行う。 1986年に再来日公演を行う。 1988年に3回目の日本公演を行う。 1991年4月の来日公演後、4月23日、ニューオーリンズのホテルで死亡、死因はオーバー・ドーズとも言われてるが、真相は謎に包まれている。38歳。 2015年、生涯を追ったドキュメンタリー映画『Looking for Johnny ジョニー・サンダースの軌跡』が日本公開[3]。 ザ・キンクスのコンセプトアルバムである、『ヴィレッジ・グリーン・プリザヴェイション・ソサエティ』に出てくるバイク乗りが由来といわれる。 ニューヨーク・ドールズ時代から主にギブソン・レスポール・ジュニア・ダブルカッタウェイ(TVモデル)を使用。オベーションやモーリスのエレアコ、ギブソン・レスポール・スペシャルなども使用していた。 ジョニーを崇拝するロック・ミュージシャンは実に多い。元ザ・スミスのモリッシーは、無名時代に『The New York Dolls』という小冊子を自費出版したほどのマニアである。『ソー・アローン』収録のバラード「ユー・キャント・プット・ユア・アームズ・アラウンド・ア・メモリー」は、マイケル・モンローやガンズ・アンド・ローゼズにカヴァーされた。 日本でも人気が高く、ZIGGYの『HOT LIPS』やRCサクセションの『COVERS』、えびの『にくまれっこ世にはばかる』で、ゲスト・プレイヤーとして招かれた。
略歴ソロ時代初期 (1979年)
ニューヨーク・ドールズ
ハートブレイカーズ
ソロ活動1980年代
名前の由来
使用ギター
ジョニー・サンダース信奉者
ディスコグラフィ
スタジオ・アルバム
『ソー・アローン』 - So Alone (1978年)
『イン・コールド・ブラッド』 - In Cold Blood (1983年)
Diary of a Lover (1983年)
『ハート・ミー』 - Hurt Me (1983年) ※アコースティック・ギター弾き語り作品
『ケ・セラ・セラ』 - Que Sera Sera (1985年)
『コピー・キャッツ』 - Copy Cats (1988年) ※with パティ・パラディン
ライブ&コンピレーション・アルバム
『トゥ・マッチ・ジャンキー・ビジネス』 - The New Too Much Junkie Business (1983年)
Stations of the Cross (1987年)
『ブートレッギング・ザ・ブートレッガーズ』 - Bootlegging the Bootleggers (1990年)
『ギャング・ウォー』 - Gang War (1990年) ※ギャング・ウォー名義。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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