ジョニー・エバース
Johnny Evers1910年
基本情報
国籍 アメリカ合衆国
出身地ニューヨーク州トロイ
生年月日1881年7月21日
没年月日 (1947-03-28) 1947年3月28日(65歳没)
身長
体重5' 9" =約175.3 cm
125 lb =約56.7 kg
選手情報
投球・打席右投左打
ポジション二塁手
初出場1902年9月1日
最終出場1929年10月6日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
シカゴ・カブス (1902 - 1913)
ボストン・ブレーブス (1914 - 1917, 1929)
フィラデルフィア・フィリーズ (1917)
シカゴ・ホワイトソックス(1922)
アメリカ野球殿堂 殿堂表彰者
選出年1946年
選出方法ベテランズ委員会選出
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1913年7月16日
ジョニー・ジョセフ・エバース(John Joseph Evers, 1881年7月21日 - 1947年3月28日)は、アメリカ合衆国ニューヨーク州トロイ出身のプロ野球選手(二塁手)。右投げ左打ち。
ニックネームは"Crab"(カニ)。1906から1908年のカブスのリーグ3連覇を支えた「ダブルプレー・トリオ」の一人。目次 1902年にカブスからデビューする。非常に小柄で、デビュー当時の体重は100ポンド(45kg)に満たなかったという小柄な選手だったが、当時監督をしていたフランク・セレーはエバースの攻撃的な守備を評価し、以後カブスのレギュラー内野手に定着する。1906年からカブスはリーグを3連覇、ワールドシリーズも2度制覇する。 当時カブス内野陣(遊撃手ジョー・ティンカー、二塁手ジョニー・エバース、一塁手フランク・チャンス)は見事な連携による併殺プレーを完成させていた。ライバルだったニューヨーク・ジャイアンツの番記者が当時の新聞記事の端に短いポエムを掲載したのだが、このポエムの中の"Tinker to Evers to Chance"というフレーズが有名である。 エバースの有名なプレーは1908年9月23日のニューヨーク・ジャイアンツとの優勝を争う試合での出来事である。この試合の9回裏の二死一塁三塁の場面からアル・ブリッドウェル
1 経歴
2 エバース戦法
3 詳細情報
3.1 年度別打撃成績
3.2 表彰
3.3 監督としての戦績
4 脚注
5 関連項目
6 出典・外部リンク
経歴
1914年にボストンに移籍、打率は.279ながら最高守備率をマーク、リーグの最優秀選手に選ばれた。選手としての実働は1917年までで、以後1924年にホワイトソックスの監督を務め、引退は1929年。その後は、ボストン・ブレーブスのスカウトや営業支配人、マイナーリーグの監督などを務めていた。1946年に、ベテランズ委員会の選考によってアメリカ野球殿堂入り選手に選出された。翌年の1947年3月28日、脳出血で死去。 日本ではバントの構えからバットを引くことを「エバース」という(今日ではあまり言われない)。この単語の由来はジョニー・エバースである。彼の考案した戦法で、バントの構えをして相手内野守備陣を前に誘導させる戦法をエバースシステム、またはエバース戦法と呼び、そこから取られたものであると考えられている[1]。 年
エバース戦法
詳細情報
年度別打撃成績
度球
団試
合打
席打
数得
点安
打二
塁
打三
塁
打本
塁
打塁
打打
点盗
塁盗
塁
死犠
打犠
飛四
球敬
遠死
球三
振併
殺
打打
率出
塁
率長
打
率O
P
S
1902CHC2698907200002021--3--3--29--.222.263.222.485
19031244974647013627701775225--11--19--327--.293.325.381.707
19041525875324914114701694726--23--28--422--.265.307.318.624
190599389340449411211123719--20--27--220--.276.333.329.663
19061545955336513617611685149--24--36--224--.255.305.315.620