ジョニ・ミッチェル
CC
ジョニ・ミッチェル CC(Joni Mitchell、1943年11月7日 - )は、カナダの歌手、シンガーソングライター。出生名はロバータ・ジョーン・アンダーソン(Roberta Joan Anderson)[2]。フォーク、ポップ、ロック、ジャズなどのジャンルにとらわれないジョニの歌は、ロマンス・女性らしさ・幻滅・喜びへの感情だけでなく、時に社会的で哲学的な理想をも投影する。彼女は9つのグラミー賞や1997年のロックンロールの殿堂入りなど、多くの称賛を受けていて、ローリング・ストーン誌はジョニを「史上最高のソングライターの1人」と呼び[3]、オールミュージックは「(嵐が去って)土ぼこりが落ち着いたときに、20世紀後半の最も重要で影響力をもたらした女性のレコーディングアーティストとして、ジョニ・ミッチェルが立っているだろう」と表現した[4]。代表曲に「ビッグ・イエロー・タクシー」「サークル・ゲーム」「ヘルプ・ミー」など多数。 オンタリオ州トロントのナイトクラブ出演より前にサスカチュワン州サスカトゥーンやカナダ西部の小さなナイトクラブで歌い始めた。1965年、アメリカに移りツアーを始め、オリジナル曲(「アージ・フォー・ゴーイング」、「チェルシーの朝」、「青春の光と影」、「サークル・ゲーム」)がフォークシンガーらによってカバーされ、リプリーズ・レコードと契約しデビューアルバム発表(1968年)に至る[5]。その後南カリフォルニアに定住し、「ビッグ・イエロー・タクシー」や「ウッドストック」などのヒットで一躍、時代の鑑となった。1971年発表の『ブルー』は最高のアルバムとして挙げられることも多く、「ローリング・ストーンの選ぶオールタイム・ベストアルバム500」(2020年版)で3位[6]、ニューヨーク・タイムズによって「20世紀のポピュラー音楽の転換点と頂点」を表す25枚のアルバム(2000年)[7]、ナショナル・パブリック・ラジオ(NPR)は「女性が作った偉大なアルバム」の1位に選んでいる(2017年)[8]。 レーベルを変え、5枚目のアルバム『バラにおくる』(1972年)をリリースした後、ベストセラー・アルバムとなった『コート・アンド・スパーク』(1974年)を発表。ラジオでのヒット曲「ヘルプ・ミー」と「パリの自由人」[9]を収録したこのアルバムではジャズの影響を受けたメロディックなアイデアを、ポップな質感で探求し始めた。1975年頃、ジョニの音域はメゾソプラノから広い範囲のコントラルトにシフトし始めた[10][11][12]。彼女の特徴的なピアノとオープン・チューニングのギターでの作曲も、ジャズとロックンロール・R&B・クラシック・非西洋のビートを融合させ、よりハーモニックで、複雑なリズムになった。1970年代後半、彼女はジャコ・パストリアス、ウェイン・ショーター、ハービー・ハンコック、パット・メセニー、チャールズ・ミンガスなどの、有名なジャズミュージシャンと緊密に協力し始めた[13]。
概要