ジョナサン・ナナリー
Jonathan Nunnally
基本情報
国籍 アメリカ合衆国
出身地ノースカロライナ州ペルハム
ジョナサン・キース・ナナリー(Jonathan Keith Nunnally , 1971年11月9日 - )は、アメリカ合衆国・ノースカロライナ州出身の元プロ野球選手(外野手)。
米国時代の登録名はJon Nunnally、日本での登録名はナナリー。 1992年のMLBドラフト3巡目で、クリーブランド・インディアンスから指名を受け入団。 カンザスシティ・ロイヤルズ在籍時の1995年4月29日、対ニューヨーク・ヤンキース戦でメジャーデビューを果たし、第1打席でプロ入り初打席初本塁打を記録。 1997年のシーズン途中、シンシナティ・レッズへ移籍。1999年には、ボストン・レッドソックスへ移籍した。 2000年には、ニューヨーク・メッツに移籍し、東京ドームで行われたメジャーリーグ開幕戦(対シカゴ・カブス戦)で来日し、打席にも立った。 その3ヵ月後、トロイ・ニールら助っ人外国人打者の不振にあえいでいたオリックス・ブルーウェーブへの入団が決まり、再来日を果たした。6月28日の対大阪近鉄バファローズ戦(大阪ドーム)でデビューを果たし、第1打席で前川勝彦から本塁打を放った。前述の通り、メジャーデビューの打席でも本塁打を打っているナナリーは、史上初めて日米で初打席初本塁打を記録した選手となった。しかし、最終的には2割を切るほどの低打率に終わり、シーズン終了後に解雇された。 2001年から2005年までは、マイナーリーグでプレーしていたが、メジャー昇格は出来なかった。2005年は禁止薬物で陽性反応を示し、15試合の出場停止処分を受けた。 2006年にメキシカンリーグでプレーしたのを最後に引退した[1]。 現役引退後はインディアンス傘下のマイナー球団の打撃コーチを務めたのち、2010年から2011年まではインディアンスの打撃コーチを務めた。 その後もインディアンス傘下、レッドソックス傘下、エンゼルス傘下、パイレーツ傘下と移りながら打撃コーチを歴任している[2]。 2019年にパイレーツ傘下AA級アルトゥーナ・カーブの打撃コーチに就任[3]。2021年にAAA級インディアナポリス・インディアンズの打撃コーチに移り[4]、2022年からは再びAA級アルトゥーナの打撃コーチを務めている[3]。 年
来歴
現役時代
現役引退後
詳細情報
年度別打撃成績
度球
団試
合打
席打
数得
点安
打二
塁
打三
塁
打本
塁
打塁
打打
点盗
塁盗
塁
死犠
打犠
飛四
球敬
遠死
球三
振併
殺
打打
率出
塁
率長
打
率O
P
S
1995KCR1193603035174156141434264405152864.244.357.472.829
199635104901619515411700011320250.211.308.456.763
199713342987011124000050070.241.353.414.767
CIN652312013864123131213573112602512.318.400.6021.002
'97計782652304671124141333973113102582.309.394.578.972
1998742131742936907662034133431384.207.335.379.714
1999BOS1014144410051000000060.286.286.357.643
2000NYM489274161451227631011700261.189.337.365.702
オリックス421341151819705411520001900443.165.284.357.641
MLB:6年364104888516221847124241512519126614610523911.246.354.469.823
NPB:1年421341151819705411520001900443.165.284.357.641
記録
NPB
初出場・初先発出場:2000年6月28日、対大阪近鉄バファローズ12回戦(大阪ドーム)、2番・中堅手として先発出場
初打席・初安打・初本塁打・初打点:同上、1回表に前川勝彦から右越2ラン ※史上41人目の初打席初本塁打
初盗塁:同上、3回表に二盗(投手:前川勝彦、捕手:的山哲也)
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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