ジョゼフ・モニエ
[Wikipedia|▼Menu]
ジョゼフ・モニエ

ジョゼフ・モニエ[1](Joseph Monier. 1823年11月8日-1906年3月13日)は、鉄筋コンクリートを考案したことで知られるフランス庭師[2][3]

鉄筋コンクリートはさまざまな人物によって徐々に確立されていった技術であり、誰か一人に「発明」を帰することはできないが、その考案者の一人として必ず名前があがる人物である[4]
目次

1 出自

2 鉄とコンクリートの組み合わせの考案

2.1 金網を入れた植木鉢の考案

2.2 パリ万博への出展

2.3 エヌビックの応用

2.4 ヴァイスの応用


3 鉄筋コンクリートの強度

4 脚注

4.1 注釈

4.2 出典


出自

モニエの若いころのことは詳しく伝わっていない。モニエは1823年に南フランスにあるニーム近郊のサンカンタンラポテュリ(Saint-Quentin-la-Poterie)で生まれた[4][注 1]。モニエは10代でパリに出て庭園師として働きはじめた[4]
鉄とコンクリートの組み合わせの考案
金網を入れた植木鉢の考案

当時の園芸用の植木鉢類は、もっぱら伝統的な陶器(粘土を焼いたもの)で作られたものが普及していた。これに新しい変わり種としてコンクリート製の植木鉢も出回るようになっていて、目新しさからそれなりに人気があった[4]

しかしコンクリート製植木鉢は不便だった。分厚いコンクリート製の鉢は重すぎて容易には動かせず、堅い割にはよく壊れた[4]

モニエは薄くて丈夫な植木鉢を求め、コンクリートの鉢の改良に取り組んだ。そして1849年に、金網にセメントを流し、補強したコンクリート鉢をつくるという発想に到達した[4][5]。モニエははじめ、凍結しても割れない水道管の材料を探しているうちに、コンクリートに金網で補強することに行き着いたと言う[6]

それよりも以前から、鉄骨をコンクリートで被膜する工法が知られていたが、これは建築物の耐火性を高める目的で行われており、強度を高める目的で鉄とコンクリートを組み合わせたのはモニエの植木鉢が最初だと考えられている[4]
パリ万博への出展

モニエは1867年のパリ万国博覧会に金網入りの植木鉢を出品した[7]。7月16日にはシュロを植えるための「鉄で強化した園芸用の桶」で最初の特許を取得した[8][5][9]。これによってモニエの手法は世間に広く知られることになった[4]

モニエは鉄網入りのセメント材の用途を次々と考案し、さまざまな特許を取得していった。「管と鉢」(1868年)[4]、「建物の外装用の羽目」(1869年)[4]、「橋」(1873年)[4]枕木(1877年)[5]、「」(1878年)などである。1875年には、モニエの設計によって、シャズレ城 (Chateau de Chazelet) に世界初の鉄筋コンクリート製の橋が架けられた[4][10]。モニエはほかにもさまざまなものに鉄筋コンクリートを使用する奇抜なアイデアを出し、「鉄筋コンクリート製の棺」まで考案した[6]。1880年には鉄筋コンクリートの耐震家屋を試作するに至っている[5]

しかし、モニエ自身は、コンクリートと鉄の組み合わせがどうして強度が高まるのか、その原理を理解はしていなかった。モニエが取得した特許の中でも、そのメカニズムについては説明されておらず、具体的な強度は直感に頼っていた[4][6](それでも当時、鉄筋コンクリートで建物を作るには、モニエに特許使用料を支払う必要があった[6]。)。

そのせいで、モニエの特許を直接的に建築に応用するのは難しく、当時、急速に成長していた建築業で本格的に採用されるに至らなかった。モニエは商業的な利益を手にすることがないまま、1906年に没した。その死因はよくわかっていない[4]
エヌビックの応用

フランスのフランソワ・エヌビック(Francois Hennebique,1842-1921[11]は、1867年パリ万国博覧会でモニエの鉄筋コンクリートの鉢や桶を見て、この新しい建材を建築分野へ実用する試みをはじめ、鉄道の枕木や管、床や橋に使用するようになった[3]。その年には事務所を立ち上げ、1892年には全面的な鉄筋コンクリート造の建築に関する特許を取得した[12]
ヴァイスの応用

モニエの特許はドイツやオーストリアで特に人気があった。中でもベルリンの建築家・技術者のグスタフ・アドルフ・ヴァイス(Gustav Adolf Wayss,1851-1917)によって、鉄筋コンクリートの技術が建築界に欠かせないものとして確立されることになった[4]

ヴァイスは事務所を立ち上げて、ドイツとオーストリア国内におけるモニエの特許権を買収した。そのうえで鉄筋コンクリートに関する研究を重ね、載荷試験などを行って、モニエ自身も仕組みを理解していなかった鉄筋コンクリートの強度について解明した。ヴァイスはこれらの結果をまとめ、1887年に『モニエ・システム(The Monier System)』というタイトルで発表し、さまざまな建築工法のなかでモニエの鉄筋コンクリートを最も高く評価するとともに、鉄筋コンクリートの構造計算を確立した[5][8][4]。この工法を解説するパンフレット(Monier Brochure)も広く出版された[6]

このレポートによって、ドイツ語圏では「モニエ・システム」と称する鉄筋コンクリート工法が知れ渡ることになった。ヴァイス自身も、モニエ・システムによって、ドイツ国内で1887年から1899年までの間だけで320もの橋を建設している。まもなくこの工法はヨーロッパ中に広まり、オーストラリアやアメリカでも採用されて普及するようになった[4][5]


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:27 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef