ジョゼフ・アディソン
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Joseph Addison
ジョゼフ・アディソン

生誕 (1672-05-01) 1672年5月1日
イギリス ウィルトシャー、ミルストン(英語版)
死没1719年6月17日(1719-06-17)(47歳)
イギリス ロンドン
国籍 イギリス
職業作家 政治家
署名

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ジョゼフ・アディソン(英語: Joseph Addison PC PC (Ire)、1672年5月1日 ? 1719年6月17日)は、イギリスエッセイスト詩人劇作家政治家文学者。ジョゼフはジョセフ、アディソンはアジソンと訳される事もある。熱心なホイッグ党の支持者であり、アン女王の治世に友人のリチャード・スティール(英語版)と共にエッセイ新聞スペクテイター』(1711年 ? 1714年)を創刊して[1]、18世紀市民文学の基礎を確立したことで知られる[2]
生涯
生い立ち

聖職者ランスロット・アディソン(英語版)と1人目の妻ジェーン・ガルストン(Jane Gulston、1635年? ? 1684年6月30日[3])の長男として、1672年5月1日にウィルトシャーのミルストン(英語版)で生まれた[1]。1671年に生まれた姉ジェーンは夭折しており、弟にのちのマドラス総督ガルストン・アディソン(英語版)(1673年 ? 1709年)、古典学者ランスロット・アディソン(1680年 ? 1710年)が、妹にドロシー(1674年 ? 1750年)とアン(1676年 ? ?)がいる[3]。エイムズベリー(英語版)、ついでソールズベリーグラマースクールに通った後、1683年に父がリッチフィールド聖堂参事会長(英語版)に任命されると、リッチフィールドの学校に転校した[1]。父は1684年にもコヴェントリー大執事(英語版)に昇進したが、ジョセフの教育などが原因となって債務を背負ったままだった[3]。1686年にチャーターハウス・スクールに転校[4]、同校でリチャード・スティール(英語版)と知り合った[1]

1687年7月12日、アディソンはオックスフォード大学クイーンズ・カレッジに入学した[5]。スティールも同じくオックスフォード大学に進学したが、彼が入学したのはクライスト・チャーチであり、1692年に学位を取得せずに大学を出た[6]。この時期のアディソンとスティールが連絡を取り合った証拠はなかった[6]

古典学に秀でたアディソンはクイーンズ・カレッジのフェローだったウィリアム・ランカスター(英語版)博士の注目を受け、ランカスターの尽力により1689年7月30日から1697年まで同大学モードリン・カレッジのデミシップ(英語版)(demyship、奨学金の一種)を得た[1][6][5]。その後、1691年にB.A.の学位を、1694年2月14日にM.A.の学位を修得した[1]。1697年5月30日に仮採用でフェローに就任した後[6]、1698年に正式に就任、1711年まで務めた[1]

在学中にジョン・ドライデンに詩作を献呈しており、この詩は1693年6月にドライデンが出版した詩集Examen Poeticumに含まれた[6]。1695年にPoem to his Majestyを国璽尚書ジョン・サマーズ(のちの初代サマーズ男爵)に献呈、1697年にラテン語の詩Pax Gulielmi auspiciis Europeae redditaを財務大臣チャールズ・モンタギューに献呈した[6]。これらの努力により、のちにモンタギューやサマーズがアディソンのパトロンになった[6]
グランドツアー

モンタギューの尽力で政府から200ポンドを与えられたアディソンはグランドツアーに出た[6]。1699年8月にドーバーから出発してカレーに向かい、続いてパリについた[6]。パリではオペラを、ヴェルサイユではルイ14世の肖像画を鑑賞したが、フランス語をあまりはなぜなかったため、12月にブロワに移動してフランス語の勉強をはじめた[6]。ブロワではフランス語の教師から指導を受け、教師とともに晩餐をとる以外はほとんど誰にも会わず、隠居に近い状況だったが[1]エドワード・ウォートリー・モンタギューが訪れてきたときは一緒にフランス中部を旅した[6]。以降エドワード・ウォートリー・モンタギューとその妻メアリーは最後までアディソンの友人であり続けた[6]。1700年夏[6]にパリに戻ったときには哲学者ニコラ・ド・マルブランシュや詩人ニコラ・ボアロー=デプレオーとの対話で問題が生じないほどフランス語が上達した[1]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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