ジョセフ・ウィーラー
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ジョセフ・ウィーラー
Joseph Wheeler
1836年9月10日-1906年1月25日(69歳没)
ジョセフ・ウィーラー将軍
渾名戦うジョー、戦争の子供
生誕ジョージア州オーガスタ
死没ニューヨーク州ニューヨーク
軍歴1859年-1861年(USA)
1861年-1865年(CSA)
1898年-1900年(USA)
最終階級少尉(USA)
少将(CSA)
少将(USA)
戦闘

南北戦争

シャイローの戦い

ペリービルの戦い

ストーンズリバーの戦い

チカマウガの戦い

ベントンビルの戦い

米西戦争

ラスグアシマスの戦い
米比戦争
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ジョセフ・ウィーラー(英:Joseph Wheeler、1836年9月10日-1906年1月25日)は、アメリカ合衆国の職業軍人政治家である。2つの敵対した軍隊で戦時中に将軍として務めた稀な経歴の持ち主である。まず1860年代南北戦争では南軍将軍だった。後に世紀の変わり目近く、米西戦争米比戦争ではアメリカ陸軍の将軍を務めた。

南北戦争と米西戦争の間の期間、アラバマ州からアメリカ合衆国下院議員を何期も務めた。
初期の経歴

ジョセフ・ウィーラーは先祖がニューイングランドの者だったが、ジョージア州オーガスタで生まれ、成人になるまでの大半はコネチカット州の親戚の所で過ごした[1]。しかし、ジョージア州からウェストポイント陸軍士官学校に指名されたので、自分のことを通常はジョージア人、南部人と見ていた。ウェストポイント時代のウィーラー

ウィーラーは1854年7月にウェストポイントに入学したが、当時の入学基準である身長にやっと達するくらいだった。1859年7月1日に同期の士官候補生22人中19位で卒業し、第1アメリカ竜騎兵隊の名誉少尉に任官された[2]。その後ペンシルベニア州カーライルにあったアメリカ陸軍騎兵学校に入り、そこの課程を終えると、1860年6月26日ニューメキシコ準州に駐屯していた騎馬ライフルズ銃隊に転属になった[1]

ウィーラーが「戦うジョー」という渾名を貰ったのはニューメキシコに駐屯してインディアンとの小戦闘で戦ったときのことだった[1]1860年9月1日、少尉に昇進した[2]
南北戦争での従軍

南北戦争が始まった時の1861年4月22日にウィーラーはアメリカ陸軍を除隊した[2]3月16日にジョージア州民兵砲兵隊に仕える中尉としてアメリカ連合国軍に入隊し、その後フロリダ州ペンサコーラ沖のバランカス砦勤務となった[1]。さらにアラバマ州ハンツビルに行って新設された第19アラバマ歩兵連隊の指揮を任され[3]9月4日に大佐に昇進した[2]

ウィーラーと第19アラバマ歩兵連隊は1862年4月のシャイローの戦いで、ブラクストン・ブラッグ将軍の下で良く戦った[4]。その後騎兵隊に転属になり、9月から10月はミシシッピ軍右翼の第2騎兵旅団を指揮した。10月のペリービルの戦いに参戦し、戦いの後で撤退する軍隊の後衛を立派に務めた[5]10月30日に准将に昇進し、11月から12月はテネシー軍第2軍団に属する騎兵隊を率いた。


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