Jocelyn Bell Burnell
ジョスリン・ベル・バーネル
ジョスリン・ベル・バーネル(2009)
生誕Susan Jocelyn Bell
(1943-07-15) 1943年7月15日(80歳)
イギリス 北アイルランド ベルファスト
国籍 イギリス
研究分野天体物理学
研究機関バース大学
ケンブリッジ大学
グラスゴー大学
オープン大学
オックスフォード大学
サウサンプトン大学
ユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドン
出身校グラスゴー大学
ケンブリッジ大学
論文The Measurement of radio source diameters using a diffraction method
スーザン・ジョスリン・ベル=バーネル DBE FRS FRSE FRAS FInstP(英語: Susan Jocelyn Bell Burnell, 旧姓:Susan Jocelyn Bell, 1943年7月15日 - )は、イギリスの天体物理学者である。アントニー・ヒューイッシュの下でパルサーを発見した。
略歴ベル・バーナルが初めてパルサーの信号を発見したデータ(ケンブリッジ大学図書館の展示)
1965年グラスゴー大学理学士。1967年にケンブリッジ大学大学院生時代にヒューイッシュらとクエーサーの観測するための電波望遠鏡の観測データのなかに非常に早く規則的に変化する電波信号を見つけた[1][2]。天文学的には異常に短い周期である電波の、宇宙人からの通信ではないかとも思われた電波源には「緑の小人 (Little Green Man)」[4]を意味する「LGM-1」(現・PSR B1919+21)の名が与えられたが、後に高速で回転する中性子星「CP 1919」が電波源であることがわかった。
パルサー発見の論文は5人による共著[1]で、ヒューイッシュ[7]が最初でベルが2番目だった。ヒューイッシュはマーティン・ライルとノーベル物理学賞を共同受賞したが、パルサーの信号に最初に気づいたベル[8]は受賞できなかった[9]。選から漏れたことに対して、フレッド・ホイル [10]を含む多くの天文学者が異議を唱えた[11][12][注 1]。なお、ライルとヒューイッシュの1974年度ノーベル物理学賞の受賞理由としてスウェーデン王立科学アカデミーは「電波天体物理学の先駆的研究」を挙げ、ライルに関しては「開口合成技術の開発」、ヒューイッシュに関しては「パルサーの発見における決定的役割」としている[14][15]。
1969年にケンブリッジ大学でPh.D.を取得し、サザンプトン大学指導教員(1970年 - 1973年)、ロンドン大学ムラード宇宙科学研究所研究員(1974年 - 1982年)、エディンバラ王立天文台(英語版)研究員(1982年 - 1991年)、オープン大学物理学講座教授(1991年 - 2001年)、プリンストン大学客員教授、バース大学理学部長 兼 教授(2001年 - 2004年)を務めた。
2002年から2004年までイギリス天文学会会長(英語版)、2008年から2010年まで英国物理学会会長を歴任、2011年初めには後任のマーシャル・ストーンハム(英語版)会長の急死を受け会長代行を務める。現在はオックスフォード大学客員教授 兼 マンスフィールド・カレッジフェローを務める。2003年王立協会フェロー選出。
1968年に結婚し1男を儲けるも、1993年に離婚。
BBCスコットランドはベル・バーネルに「20世紀科学界への最大の貢献をした」人物のひとりに列した[16]。
ブレイクスルー財団より2018年の基礎物理学ブレイクスルー賞特別賞の授与が伝わると、ベル・バーネルは賞金230 万ポンドは全額を寄付し、女性や少数民族、難民の学生が物理学研究者になる道を開くよう、基金を設立して管理は英国物理学会の部署(英語)に託すと発表した[17][18]。現在、「ベル・バーネル大学院奨学金基金」として運用されている[19][20]。
受賞歴
マイケルソンメダル(英語版)(フランクリン協会(英語版):1973年、フィラデルフィア)ヒューイッシュと共同受賞[21][22]
ロバート・オッペンハイマー記念賞(マイアミ大学 Center for Theoretical Studies:1978年)[23][24]