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ジョグジャカルタ特別州
Daerah Istimewa Yogyakarta
特別州
旗
印章
標語: Memayu Hayuning Bawono
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ジョグジャカルタ特別州(ジョグジャカルタとくべつしゅう、インドネシア語: Daerah Istimewa Yogyakarta)は、インドネシア共和国のジャワ島中部南岸に位置する州。州都はジョグジャカルタ市。
現代のインドネシア語では/jo?jakarta/(ヨグヤカルタ)と発音される。古い綴りでは Jogjakarta であるため、他の言語ではジョクジャカルタと発音されることが多く、ジョグジャとも略される。名は「平和の町」という意味で、名称に関しては『ラーマーヤナ』物語のラーマ王子の国、アヨーディヤー[3]にあやかって付けたといわれる[4](タイのアユタヤと由来が同じ)。 南はインド洋に面し、陸は中部ジャワ州に囲まれている。活火山であるメラピ山の保水能力と肥沃な土壌により、ジャワ島でも屈指の農業に適した地域である。 ジョグジャカルタ特別州は第1級地方自治体であり、他の州と同等な特別行政地域である。ジョグジャ市のほか、農村部のスレマン県
概要
ハイヤットホテルやシェラトンホテルなど外国資本の有名ホテルが立ち並ぶような観光都市と、ガジャマダ大学を中心とし多くの私立大学を有する教育学研都市がジョグジャカルタの表の顔であるが、インドネシアで最も低額の最低労働賃金が設定されている。アジア屈指の人口密度と貧困率の高さから、他島や都市部への移住者や、国内外への出稼ぎ者が非常に多い。
後述するように、共和国として独立したインドネシアでは唯一、地域王室制度が存続しており、スルタンが州知事を務める。スルタン家は保守派ムスリムによる2008年のポルノ禁止法に対して、反対活動の前面に立った。州民共々絶対的なアラブ至上主義イスラム教を文化破壊としてとらえるなど、住民は独自の文化と歴史を尊敬する穏健なイスラム教徒が大多数を占める。
京都府とは姉妹都市関係が結ばれている[5]。 中部ジャワのジョグジャカルタ地域は古来、マタラムと呼ばれ、8世紀にヒンドゥー系の古マタラム王国が勃興し、10世紀に東部ジャワのプランタス川
地理
地域
行政区画
ジョグジャカルタ市 (Kota Yogyakarta)
バントゥル県 (Kabupaten Bantul)
グヌンキドゥル県 (Kabupaten Gunung Kidul)
クロンプロゴ県 (Kabupaten Kulon Progo)
スレマン県 (Kabupaten Sleman)
主要都市
ジョグジャカルタ市(州都)
歴史
18世紀には三次にわたるジャワ継承戦争が続き、オランダの保護下に入ったマタラム王国は1755年に分割されてジョグジャカルタ王国とスラカルタ王国が成立した。後にジョグジャカルタからは1813年にパクアラム家が、スラカルタからは1757年にマンクヌゴロ家が分かれ、旧マタラム系王家は4家となった。
初代ジョグジャカルタ国王はハメンクブウォノ1世である。20万人の死者を出したジャワ戦争で中部ジャワは荒廃し、土着支配層に依拠しこれに余禄を与える強制栽培制度が導入されて王国はオランダの下僕となり、オランダの植民地時代を通じて植民地支配を支える土着支配官吏として土侯国として存続した。その庶子のパク・アラムは領内西端に領地を得て、副王格のパクアラム侯国が成立している。
イスラム近代改革組織ムハマディアの発祥地区であり現在でもその活動組織の中心である。オランダ植民地公教育に抵抗する民族教育を目的にし多くの民族主義者を生み出したタマンシスワ発祥の地である。
インドネシア独立戦争の時期、ジョグジャカルタはオランダの支配に抵抗するインドネシア共和国の臨時首都となった。インドネシア建国後、他の土侯国はオランダに協力的でありオランダ政庁の教育機関を卒業しその官吏となるなどしたために廃止されたが、ジョグジャカルタのスルタン・ハメンクブウォノ9世は国際情勢を読んで独立に協力したため、特別行政地域としてスルタン領の存続を認められた。土侯国の存続は共和制または近代民主主義の観点からは反することであるが、誕生したばかりで非常に不安定で多くの問題を抱えていた当時のインドネシアにとって、国際社会に対して早急な内政安定の面から封建制を受け入れなければならなかったという歴史上の側面もあった。ジョグジャカルタ出身のスハルトとはスハルトが軍人時代より盟友であり、ハメンクブウォノ9世はゴルカル党の中心人物としてスハルト政権を支え、副大統領や財務相、国防相も務めた。
2006年の地震詳細は「ジャワ島中部地震」を参照
2006年5月27日に、ジョグジャカルタ近郊でマグニチュード6.4(一説には6.2?6.3)の地震が発生した。死者5,800人以上。ほとんどがレンガ造りの家屋が倒壊したことによる圧死と思われる。
2004年12月のスマトラ島沖地震の後であり、津波発生のデマが飛び交うなどパニックとなった。一方、コミュニティが発達していたこともあり、被害状況の把握が容易だったとされる。 知事職は、ジョグジャカルタを特別州とすることを定めた1950年の法律によりスルタンが知事を、副知事はパクアラム公が務めることが明記されている。 1988年にハメンクブウォノ9世が死去すると、息子のハメンクブウォノ10世がスルタン位を継承し、副知事のパクアラム8世
政治
知事とスルタン制度