ジューン・カーター・キャッシュ
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ジューン・カーター・キャッシュ
June Carter Cash
1969年、ジョニー・キャッシュとジューン・カーター・キャッシュ
基本情報
出生名ヴァレリー・ジューン・カーター
Valerie June Carter
生誕 (1929-06-23) 1929年6月23日
アメリカ合衆国 バージニア州メイセス・スプリングス
出身地 アメリカ合衆国 バージニア州ヒントンズ
死没2003年5月15日(2003-05-15)(73歳)
アメリカ合衆国 テネシー州ナッシュビル
ジャンルカントリーフォークゴスペル
職業シンガーソングライター、女優、ダンサー、コメディエンヌ
担当楽器ボーカル、ギター、バンジョー、ハーモニカ、オートハープ
活動期間1939年 - 2003年
共同作業者カーター・ファミリー、マザー・メイベル&ザ・カーター・シスターズ、ジョニー・キャッシュ

ジューン・カーター・キャッシュ (June Carter Cash、1929年6月23日 - 2003年5月15日)[1] は、アメリカ合衆国の歌手、ダンサー、ソングライター、女優、コメディアン、作家。カーター・ファミリーのメンバーで、ジョニー・キャッシュの2番目の妻。結婚前は「ジューン・カーター」の名で活動していたが、結婚後も時々旧姓のままクレジットされることがあった。

ギター、バンジョー、ハーモニカ、オートハープを演奏する他、映画やテレビで女優業もこなした。グラミー賞を5回獲得し、2009年にはクリスチャン・ミュージックの殿堂入りを果たした[2]。2002年、CMTが選ぶ女性カントリー・アーティスト40名の第31位にランクインした。
経歴
生い立ち

バージニア州メイセス・スプリングで父エツラと母メイベルのもとに出生名ヴァレリー・ジューン・カーターとして生まれた。カントリー・ミュージックを聴きながら育ち、1939年、10歳で「カーター・ファミリー」と共に演奏するようになった。1943年3月、カーター・ファミリーのラジオ局WBTとの契約が切れるとカーター・ファミリーとしてレコーディングすることをやめ、エツラのすすめもあってメイベルは娘ヘレン、アニタ、ジューンと共に「マザー・メイベル&ザ・カーター・シスターズ」を結成した。6月1日、このグループはバージニア州リッチモンドのラジオ局WRNLでデビューした。1945年終盤、「バージニア・ボーイズ」として知られたメイベルの兄弟ドクといとこのカールがグループに参加した。16歳だったジューンはケン・エイリンと共にラジオ番組の中でアナウンサーを務めた他、番組中のレッド・スター・イーストの小麦粉、小麦粉ブランドのマーサ・ホワイト、百貨店のタルハイマーズなどのコマーシャルを行なった[3]。翌年、カーター家、ドク、カールはバージニア州の他、メリーランド州デラウエア州ペンシルバニア州などリッチモンドから運転できる範囲でショーを行なった。ジューンはのちに、姉妹よりもさらに精力的に演奏しなければならなかったが、ジューンにはコメディの才能もあった[4]。ツアー・ショーで盛り上がったのはジューンによる「アウント・ポリー」(ポリーおばさん)というネタであった。カールは自伝においてジューンは「天性のピエロ」であったと記した。数十年後の1976年、カーターはテレビ番組『ジョニー・キャッシュ&フレンズ』の中で「アウント・ポリー」を再演した。この時期ジューンはジョン・マーシャル高等学校に通学していた[5]

1946年終盤のドクとカール降板後、メイベルと娘たちはリッチモンドのラジオ局WRVAのサンシャイン・スー・ワークマンによる『オールド・ドミニオン・バーン・ダンス』に出演するようになった。その後テネシー州ノックスビルのWNOXに出演するようになり、そこでチェット・アトキンスwithホーマー&ジェスロと出会った。

1949年、マザー・メイベル&ザ・カーター・シスターズおよびリード・ギタリストを務めたアトキンスはミズーリ州スプリングフィールドに住み、ラジオ局KWTOにレギュラー出演した。テネシー州ナッシュビルの『グランド・オール・オープリー』から何度も出演オファーを受けていたが、オープリーはアトキンスが共に演奏することを認めなかったため、マネージャーを務めていたエツラはこれらのオファーを断り続けた。アトキンスのギター奏者としての評判は広がり始まっており、スタジオ・ミュージシャンたちは自分たちの出番がなくなることを恐れていた。1950年、オープリー側は態度を軟化し、グループとアトキンスはオープリーに出演した。ここで一家はハンク・ウィリアムズエルヴィス・プレスリーと友達になり、ジューンはジョニー・キャッシュと出会った。

この頃からグループ に叔母のサラが参加し、1960年代から1970年代、グループ名は「カーター・ファミリー」に戻った。

ファロン・ヤングやウエブ・ピアスなど他のオープリー・スターと共に、グループが出演する際ジューンはその痩せた体形をネタにして盛り上げた。
キャリアのハイライト

歌や作詞作曲の他、ジューンは作家、ダンサー、女優、コメディアン、慈善家、人道家としても知られていた[6]。1955年、映画監督エリア・カザンはオープリーに出演するジューンを見て、本格的に演技を勉強するようすすめた。ジューンはニューヨークネイバーフッド・プレイハウスリー・ストラスバーグ、スタンフォード・マイズナーに師事した。1998年、ロバート・デュヴァルの映画『The Apostle 』のミセス・デューイー役、1993年から1997年の『ドクタークイン 大西部の女医物語』でキッド・コール(ジョニー・キャッシュ)の妻シスター・ルース役、1957年の『ガンスモーク』のクラライズ役などを演じた。また『The Last Days of Frank and Jesse James 』ではフランク・ジェイムズとジェシー・ジェイムズの母ママ・ジェイムズ役を演じた。

歌手としてジューンは一家との活動だけでなく、ソロやのちの夫とのデュエットなどでも活動した。ソロ歌手としては1950年代の『Jukebox Blues 』などのアップビート・カントリーで成功し、ブレス回数少なめで歌うフランク・レッサー作曲のコメディ曲『No Swallerin' Place 』などもヒットした。1960年代も『The Heel 』など多くの曲をレコーディングした。

ジョニー・キャッシュと結婚するまで何年も共に活動していた。1963年、ジューンはジョニーへの想いを描いた『Ring of Fire 』を共に作曲したが、妹のアニタがこの曲を最初にレコーディングした。2007年、ジョニーの最初の妻ヴィヴィアン著の『I walked the Line 』によると、この曲を作曲したのはジョニーであり、当時金銭的に困窮していたジューンのために共同作曲者と名を連ねただけだとした。またヴィヴィアンはこの曲の題名は女性の体の一部を表していると語った。

1964年、キャッシュのアルバム『Orange Blossom Special 』収録曲でシングルカットされたボブ・ディラン作曲の『悲しきベイブ』でデュエットしたのが2人にとって最初の記録的なレコーディングとなった。1967年、デュエット『Jackson 』でより成功し、コラボレーション・アルバム『Carryin' On with Johnny Cash and June Carter 』がリリースされた。これまでリリースされたコラボレーション作品は全てジョニーとの結婚前のものであり、結婚前は「ジューン・カーター」、結婚後は「ジューン・カーター・キャッシュ」の名義で活動していた。結婚後もレコーディングおよびステージ上で共に活動し続け、ジョニーの数々のアルバムでデュエットを行ない、1969年から1971年、テレビ番組『ジョニー・キャッシュ・ショー』にレギュラー出演した他、毎年恒例のキャッシュのクリスマス特別番組にも出演してした。『Carryin' On 』の後の1973年、再度コラボレーション・アルバム『Johnny Cash and His Woman 』をリリースし、1974年、娘たちをメインのヴォーカリストに迎えて『The Junkie and the Juicehead Minus Me 』をリリースした。2000年、小さなレコード会社によるゴスペル・アルバム『Return to the Promised Land 』を共にリリースした。

ジューンは多くの曲をレコーディングし、ジョニーと共に複数のアルバムをリリースしたが、ソロ・アルバムは1975年の『Appalachian Pride 』、1999年の『Press On 』、2003年の没後、息子ジョン・カーター・キャッシュのプロデュースによる『Wildwood Flower 』の3枚のみであった。ジョニーが演奏していないソロ・アルバムは『Appalachian Pride 』のみで、『Press On 』にはジューンによるオリジナル版『Ring of Fire 』が収録されている。

2003年、歌なし、台詞なしではあったが、亡くなる数か月前に撮影されたジョニーのシングル『Hurt 』のミュージック・ビデオに出演した。2003年4月7日、亡くなる1ヶ月前に病気をおしてCMTのフレームワーシー賞授賞式で夫と共に功労賞を受賞したのが最後に公の場に登場したものの1つとなった。


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