Jules Romains
ジュール・ロマン
カール・ヴァン・ヴェクテン撮影(1936年)
誕生ルイ・アンリ・ジャン・ファリグル
1885年8月26日
フランス共和国、オート=ロワール県
死没 (1972-08-14) 1972年8月14日(86歳没)
フランス、パリ
職業作家、詩人
国籍 フランス
主題小説、随筆、戯曲
文学活動国際ペンクラブ会長
(1936 - 1941)
アカデミー・フランセーズ会員
(1946年 - 1972年)
代表作『善意の人々』
主な受賞歴レジオンドヌール勲章二等
サイン
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ジュール・ロマン(Jules Romains, 1885年8月26日 - 1972年8月14日)は、フランスの作家、詩人、ユナニミスム文学運動の主導者。本名、ルイ・アンリ・ジャン・ファリグル(Louis Henri Jean Farigoule)。 1885年、オート=ロワール県、サン=ジュリアン=シャトゥイユに生まれ、直後に、小学校教員の父の転勤でパリに移り、のち、コンドルセ高等中学校(Lycee Condorcet
目次
1 生涯
2 主な作品
3 日本語訳された作品
3.1 訳書
3.2 戯曲上演
4 脚注
5 関連項目
6 外部リンク
生涯
高等中校時代、雑踏の中でユナニミスム(Unanimism 、『一体主義』)を感得したという。高等師範学校時代の1906年、ユナニミスムの小説『更生の町』を出版し、また、ジョルジュ・デュアメル、シャルル・ヴィルドラックら『アベイ派』と、親交を結んだ。デュアメルらは、1906年から1908年、パリ南東クレテイユの『クレテイユ僧院』(Abbaye de Creteil)に籠もって理想主義的文学共同生活を営み、『アベイ派』と呼ばれた。
1911年の小説『ある男の死』、1913年の、小説『仲間たち』、詩集『歌と祈り』などで世に知られ、1922年 - 1929年の三部作小説『プシュケ』、1923年の、戯曲『ル・トルーアデック氏の放蕩』、戯曲『クノック』などで、文名を確かにした。
1932年から1946年にかけ、全27巻の大河小説、『善意の人々』を出版した。
1914年の第一次世界大戦勃発を契機に、政治問題にも関心を抱き、1927年、「国民総動員」的法律への抗議運動に加わり、1931年の『今日の問題』、1933年の『ヨーロッパの問題』などの評論も発表した。エドゥアール・ダラディエの急進社会党と近く、人民戦線を支持して、スペイン内戦のフランコやナチスのヒトラーへの宥和政策に反対した。
1936年から1941年まで、国際ペンクラブの会長を務めた。
1939年の第二次世界大戦開戦とともにアメリカ合衆国へ亡命し、反ナチズムをラジオで訴え、1941年からはメキシコで、在ラテンアメリカ・フランス人協会(IFAL)を組織した。
1945年、シャルル・ド・ゴール首相やジョルジュ・デュアメルに薦められ、アカデミー・フランセーズ会員への立候補をメキシコで表明し、翌1946年11月7日に認められ、同年帰国した。
1962年には、アルジェリアの独立を進めるドゴール大統領を、支持した。
その後も、1970年の回想録『友情と出会い』に至るまで、執筆活動を続け、1972年、パリに没した。
レジオンドヌール勲章二等を贈られている。
主な作品
1904年:人の心(L'Ame des Hommes)、詩集
1906年:更生の町(Le bourg regenere)、小説
1908年:一体生活(La Vie unanime)、詩集
1911年:ある男の死(Mort de quelqu'un)、小説
1913年:歌と祈り(Odes et prieres)、詩集
1913年:仲間たち(Les Copains)、小説
1916年:ヨーロッパ(Europe)、詩集
1920年:ふるさとクロムデール(Cromedeyre-le-Vieil)、戯曲
ジャック・コポーの演出により、1920年3月27日、初演。
1923年:ル・トルーアデック氏の放蕩(Monsieur Le Trouhadec saisi par la debauche)、戯曲
ルイ・ジューヴェ一座により、1923年3月12日、初演。