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Julie Christie
ジュリー・クリスティ(1965年)
本名Julie Frances Christie
生年月日 (1940-04-14) 1940年4月14日(84歳)
出生地 イギリス領インド帝国アッサム州チュークア
国籍 イギリス
職業女優
ジャンル映画
活動期間1957年 -
配偶者ダンカン・キャンベル (2007年 - )
主な作品
『ダーリング』(1965年)
『ドクトル・ジバコ』(1965年)
『恋』(1970年)
『ギャンブラー』(1971年)
『赤い影』(1973年)
『シャンプー』(1975年)
『アフターグロウ』(1997年)
『ネバーランド』(2004年)
『アウェイ・フロム・ハー君を想う』(2006年)
受賞
アカデミー賞
主演女優賞
1965年『ダーリング』
全米映画批評家協会賞
主演女優賞
1997年『アフターグロウ』
2007年『アウェイ・フロム・ハー君を想う』
ニューヨーク映画批評家協会賞
主演女優賞
1965年『ダーリング』
1997年『アフターグロウ』
2007年『アウェイ・フロム・ハー君を想う』
放送映画批評家協会賞
主演女優賞
2007年『アウェイ・フロム・ハー君を想う』
英国アカデミー賞
英国女優賞
1965年『ダーリング』
フェローシップ賞
1996年
ゴールデングローブ賞
主演女優賞(ドラマ部門)
2007年『アウェイ・フロム・ハー君を想う』
ジニー賞
主演女優賞
2007年『アウェイ・フロム・ハー君を想う』
全米映画俳優組合賞
主演女優賞
2007年『アウェイ・フロム・ハー君を想う』
その他の賞
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ジュリー・フランシス・クリスティ(Julie Frances Christie、1940年4月14日 - )は、イギリスの女優。これまでアカデミー主演女優賞に4度ノミネートされ、1965年の『ダーリング』で同賞を受賞した。 父親が紅茶のプランテーションを経営していた[1]ため、インドのアッサム州チュークアで生まれる[2]。母親はウェールズ人の画家。 ロンドンの演劇学校(スクール・オブ・スピーチ・アンド・ドラマ)で学び、1957年にエセックスのFrinton Repertoryのメンバーとしてデビュー。ロイヤル・シェイクスピア・カンパニーの舞台などに出演して、1961年に映画デビュー。1965年のイギリス映画『ダーリング』でアカデミー主演女優賞を受賞し、一躍トップ・スターになる。以後、多数のハリウッド作品に出演。1980年代頃からイギリスに戻り、イギリスの作品を中心に活動している。 2006年(劇場では2007年)公開の女優サラ・ポーリーの長編監督デビュー作品である『アウェイ・フロム・ハー君を想う』での演技が高く評価され、第65回ゴールデングローブ賞主演女優賞(ドラマ部門)など多数の映画賞を受賞、第80回アカデミー賞主演女優賞にもノミネートされた。 1960年代、70年代はテレンス・スタンプやウォーレン・ベイティと交際。1979年からジャーナリストのダンカン・キャンベルとはパートナーの関係であったが、2007年に結婚した[3]。 1970年代頃から動物の権利、環境保護、反核主義者などの政治的行動に活発である[4][5]。 公開年邦題
来歴
私生活
主な出演作品
原題役名備考
1965若き日のキャシディ
Young Cassidyデイジー
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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