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イタリアの政治家ジュリオ・アンドレオッティGiulio Andreotti
生年月日 (1919-01-14) 1919年1月14日
出生地 イタリア王国、ラツィオ州ローマ県ローマ
没年月日 (2013-05-06) 2013年5月6日(94歳没)
死没地 イタリア、ラツィオ州ローマ県ローマ
出身校ローマ大学
所属政党キリスト教民主主義(1946年 - 1994年)
無所属(1994年 - 2013年)
配偶者リビア・ダネーセ
第27・28・33・34・35・47・48代イタリア閣僚評議会議長
在任期間(第47・48代)1989年7月23日 - 1992年6月28日
(第33・34・35代)1976年7月30日 - 1979年8月5日
(第27・28代)1972年2月18日 - 1973年7月8日
大統領(第47・48代)フランチェスコ・コッシガ
(第33・34・35代)ジョヴァンニ・レオーネ
アレッサンドロ・ペルティーニ
(第27・28代)ジョヴァンニ・レオーネ
イタリア外相
在任期間1983年8月4日 - 1989年7月23日
首相ベッティーノ・クラクシ
アミントレ・ファンファーニ
ジョヴァンニ・ゴリーア
チリアーコ・デ・ミータ
イタリア国防相
在任期間1974年3月15日 - 11月23日
1959年2月16日 - 1966年2月24日
首相アントニオ・セーニ
フェルナンド・タンブロニ
アミントレ・ファンファーニ
ジョヴァンニ・レオーネ
アルド・モーロ
マリアーノ・ルモール
イタリア元老院議員
在任期間1991年 - 2013年
イタリア代議院議員
在任期間1946年 - 1991年
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ジュリオ・アンドレオッティ(イタリア語: Giulio Andreotti、イタリア語発音: [??u?ljo andre??tti]、1919年1月14日 - 2013年5月6日)は、イタリアの政治家。
冷戦下におけるイタリア最大の反共保守政党・キリスト教民主主義の最高権力者であり、首相(第27・28・33・34・35・47・48代)、外相、国防相、内相、金融相、国庫相、通商産業工業相、公営企業相、文化財・文化活動相、上院議員(終身)、下院議員(11期)を歴任するなどイタリア政界の実力者であったが、同時にマフィアやCIAとの「公然の関係」で知られ、1990年代前半にその座を追われた。 1919年1月14日、ラツィオ州ローマにおいて3人兄妹の末っ子として生まれ、ローマ大学で法律を学んだ。卒業後の第二次世界大戦後にキリスト教民主主義に入党し、1946年に下院議員に当選した。 下院議員当選の翌年の1947年に、アルチーデ・デ・ガスペリ内閣の首相府の副長官となって以来、冷戦下におけるイタリア最大の反共保守政党となったキリスト教民主主義の実力者として頭角を現し、1954年1月にはアミントレ・ファンファーニ内閣の内相として初入閣し、以降外相や国防相などの要職を兼任(入閣回数は19回)した。 さらに、1972年2月-1973年7月、1976年7月-1979年8月と1988年7月-1992年6月の3回、合計7つの内閣にわたり首相を勤めた。 3回目の首相在任中の1991年6月に、イタリア国家への貢献が認められて終身上院議員の地位を得る。 なお、アンドレオッティの入閣および首相在任中は、キリスト教民主主義の他のメンバー同様一貫して親西側諸国、反東側諸国(反共)の姿勢をつらぬき、特にNATOを通じて同盟関係にあり、貿易面でもイタリアと関係が深かったアメリカと良好な関係を保っていたと言われている。 一方、アンドレオッティは首相就任前のみならず首相在任当時も、国内外においてマフィアをはじめとする犯罪組織との親密な関係を持ち、それは「公然たる事実」として扱われていた。マフィアの構成員はアンドレオッティのことを親しみをこめて「ジュリオおじさん」というニックネームで呼んでいた。実際に、シチリアマフィア(コーザ・ノストラ)のドンのサルヴァトーレ・リイナと抱擁しキス(頬へのキスは同志に行う所作)をしている所を目撃されている。
略歴
政界へ
19回の入閣
3回の首相1978年のサミット時(左端)
マフィアとの関係
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