ジュリエッタ・マシーナ
Giulietta Masina
1966年、撮影
本名Giulia Anna Masina
生年月日 (1921-02-22) 1921年2月22日
没年月日 (1994-03-23) 1994年3月23日(73歳没)
出生地 イタリア、ボローニャ
死没地 イタリア、ローマ
国籍 イタリア
配偶者フェデリコ・フェリーニ (1920 - 1993)
受賞
カンヌ国際映画祭
女優賞
1957年『カビリアの夜』
その他の賞
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ジュリエッタ・マシーナ(Giulietta Masina, 本名: Giulia Anna Masina, 1921年2月22日 - 1994年3月23日)は、イタリアの女優。ボローニャ出身。 大学教授の娘で文学を学んでいたが演劇に転向、ローマ大学で学ぶ。大学卒業後の1943年、ラジオに出演していた時、そのラジオドラマの脚本を書いたフェデリコ・フェリーニと出会い、同年結婚[1]。1945年に誕生した生後1か月の息子を病気で亡くしている[1]。 映画初出演はロベルト・ロッセリーニ監督作品の『戦火のかなた』。その後『道』などのフェリーニ作品だけでなく幅広く活躍したが、やはりマシーナの魅力はフェリーニ作品、特に『道』の知的障害を抱えた女性大道芸人ジェルソミーナ[1]、『カビリアの夜』の娼婦カビリア[1]など人間、とくに弱い(立場の)愚かな女性の内面を見事なまでにスクリーンに表現しえた演技と個性(美人というわけではなく、プロポーションも良いといえない。小柄で丸く大きな目をした[1]、愛嬌のある顔立ち)にあった。 1957年の『カビリアの夜』でカンヌ国際映画祭 女優賞を受賞している[1]。1970年代以降は、時折テレビ映画に出演する以外に、長く映画の女優活動からは遠ざかっていたが[1]、1980年代に『ジンジャーとフレッド』で20年振りにマルチェロ・マストロヤンニと共演するなど[1]、達者な姿をスクリーンに見せてくれた。 フェリーニとは金婚式を迎えた同じ1993年に、フェリーニが病死するまで連れ添った(一時期別居していた事はあった)[1]。マシーナが肺癌で他界したのはフェリーニの死から5か月後のことだった[1]。
略歴
主な出演作品
戦火のかなた Paisa (1946)
寄席の脚光 Luci del varieta (1950)
ヨーロッパ一九五一年
道 La Strada
表
話
編
歴
カンヌ国際映画祭女優賞
1946 - 1960
ミシェル・モルガン(1946)
イザ・ミランダ(1949)
ベティ・デイヴィス(1951)
リー・グラント(1952)
シャーリー・ブース(1953)
Bolshaya Semyaのキャスト陣(1955)
スーザン・ヘイワード(1956)
ジュリエッタ・マシーナ(1957)
ビビ・アンデショーン / エヴァ・ダールベック / バルブロ・ヒオルト・アフ・オルネス / イングリッド・チューリン(1958)