ジュリアン・フェロウズ
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ジュリアン・フェロウズ
Julian Fellowes
2014年5月、パラマウント・スタジオでのダウントン・アビーのイベントにて
本名Julian Alexander Kitchener-Fellowes, Baron Fellowes of West Stafford
生年月日 (1949-08-17) 1949年8月17日(74歳)
出生地エジプトカイロ
国籍 イギリス
職業俳優、脚本家、映画監督、小説家、政治家
配偶者エマ・ジョイ・キッチナー

 受賞
アカデミー賞
脚本賞
2001年ゴスフォード・パーク
全米映画批評家協会賞
脚本賞
2001年『ゴスフォード・パーク
ニューヨーク映画批評家協会賞
脚本賞
2001年ゴスフォード・パーク
エミー賞
作品賞(ミニシリーズ/テレビ映画部門)
2010年ダウントン・アビー
脚本賞(ミニシリーズ/テレビ映画部門)
2010年『ダウントン・アビー
ゴールデングローブ賞
作品賞(ミニシリーズ/テレビ映画部門)
2011年ダウントン・アビー
その他の賞

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ジュリアン・フェロウズ(英語: Julian Fellowes, 1949年8月17日 - )は、イギリス俳優脚本家小説家映画監督政治家である。ドラマ・シリーズ『ダウントン・アビー』の製作および脚本によって知られる。2014年現在の本名はウエスト・スタフォードのフェロウズ男爵ジュリアン・アレキサンダー・キッチナー=フェロウズである。
家族

アラブの専門家で外交官であった父ペレグリン・エドワード・ランスロット・フェロウズと母オルウェンの間にカイロで生まれた[1]。オルウェンと死別した後、父はゲインズバラ伯爵の娘モーリーンと再婚した[2]。フェロウズ家はローマ・カトリックであり、フェロウズは幼い時からローマ・カトリックの教育を受け、後に、ヨークシャーのベネディクト会の名門校アンプルフォース・カレッジ(英語版)に進学し、続いてケンブリッジ大学モードリン・カレッジに在籍した。

フェロウズは1990年に、第3代キッチナー伯爵ヘンリー・キッチナー(英語版)の姪に当たるエマ・ジョイ・キッチナー(マイケル王子の妃であるマリー=クリスティーヌの女官)と結婚した。1998年、フェロウズは名字を正式にキッチナー=フェロウズに変えた。2011年、キッチナー伯爵は男系の子孫を残さず亡くなり、キッチナー伯爵の称号の女系相続は特許状により許可されていなかったため、キッチナー伯爵号は廃止された[3]。同2011年、フェロウズは一代貴族として(en: List of life peerages (2010?present))、ウエスト・スタフォードのフェロウズ男爵に叙爵された[1]。また女王は2012年5月9日付けで妻を「席次の令」により伯爵令嬢扱いの礼遇に処した。

フェロウズは平民として生まれ育った人物であるが、継母および妻は貴族の子孫であり、@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}自身も長年の文化への貢献および妻の実家の爵位廃止を考慮してか[要出典]、『ダウントン・アビー』開始後に一代男爵とされている。ジュリアン・フェロウズと、ダイアナ元妃の姉ジェーンの夫で、同じく一代貴族とされたフェロウズ男爵ロバート・フェロウズは、1653年に生存したウィリアム・フェロウズを共通の祖先としている。

『ダウントン・アビー』のガイドブックを執筆したジェシカ・フェロウズは姪にあたる。
キャリア
俳優

フェロウズは1981年にロサンジェルスに移住し、2年間俳優活動をした。イギリスにもどり、主にテレビおよび映画で俳優活動を行った。『恐竜伝説ベイビー』、『ダメージ』、『永遠の愛に生きて』、『ジェイン・エア』、『007 トゥモロー・ネバー・ダイ』などに出演し、2014年時点でも脚本家活動と俳優活動を両立している。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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