ジュリアン・デュヴィヴィエ
Julien Duvivier
生年月日 (1896-10-03) 1896年10月3日
没年月日 (1967-10-30) 1967年10月30日(71歳没)
出生地 フランス共和国 ノール県リール
死没地 フランス パリ
職業映画監督、脚本家、俳優
ジャンル演劇、映画
活動期間1919年 - 1967年
主な作品
『地の果てを行く』(1935年)
『パニック』 (1946年)
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ジュリアン・デュヴィヴィエ
ジュリアン・デュヴィヴィエ(Julien Duvivier, 1896年10月3日 - 1967年10月30日)は、フランスの映画監督、脚本家、俳優。 パリで舞台俳優として活躍していたが、舞台助監督から舞台監督となり、1919年に映画監督としてデビュー。しばらくヒットに恵まれなかったが、1930年代から数々の名作を作り上げた。 彼は古典フランス映画のビッグ5の1人である。他の4人は、ジャック・フェデー、ジャン・ルノワール、ルネ・クレール、マルセル・カルネである。 第二次世界大戦中は、アメリカ合衆国に亡命。しかし、あまりハリウッドとは水に合わず、戦後再びフランスに戻り作品を撮り続けた。 日本では彼の作品が戦前から異常なほど人気があり、映画史研究家ジョルジュ・サドゥールによれば、「この監督は、東洋の一小国だけにおいて、熱烈な観客がいる」と言わしめているほどであった。現在では、フランス本国においても正当な評価を受けている。 1967年10月30日、パリ市内で自動車を運転中に心臓発作を起こし昏倒し、他の車に衝突し、そのはずみで街路樹に激突する事故を起こして死去した。満71歳没。なお、衝突された車にはモーリス・シューマンが乗っていたが、モーリスに怪我は無かった。
人物・来歴
その他
1959年(昭和34年)6月7日、第2回フランス映画祭のため来日している。
主な監督作品
資本家ゴルダー -David Golder (1930)
カイロの戦慄 - Les cinq gentlemen maudits/Die funf verfluchten Gentlemen (1931)※フランス語版・ドイツ語版
巴里-伯林 -Allo Berlin ? Ici Paris! (1931)
にんじん -Poil de carotte (1932 原作:ジュール・ルナール)[1]
モンパルナスの夜 -La tete d'un homme (1933)
商船テナシチー -Le paquebot Tenacity (1934)
白き處女地 - Maria Chapdelaine
ゴルゴダの丘
表
話
編
歴
ジュリアン・デュヴィヴィエ監督作品
1930年代
資本家ゴルダー (1930)
カイロの戦慄 (1931)
巴里-伯林 (1931)
にんじん (1932)
モンパルナスの夜 (1933)
商船テナシチー (1934)
白き處女地 (1934)
ゴルゴダの丘 (1935)
地の果てを行く (1935)
巨人ゴーレム (1936)
我等の仲間 (1936)
望郷 (1937)
舞踏会の手帖 (1937)
グレート・ワルツ (1938)
旅路の果て (1939)
幻の馬車 (1939)
1940年代
わが父わが子 (1940)
リディアと四人の恋人 (1941)
運命の饗宴 (1942)
肉体と幻想 (1943)
逃亡者 (1944)
パニック (1946)
アンナ・カレニナ (1948)
神々の王国 (1949)
1950年代
巴里の空の下セーヌは流れる (1951)
陽気なドン・カミロ (1951)
アンリエットのパリ祭 (1952)
ドン・カミロ頑張る (1953)
埋れた青春 (1954)
わが青春のマリアンヌ (1955)
殺意の瞬間 (1956)
奥様ご用心 (1957)
私の体に悪魔がいる (1959)
自殺への契約書 (1959)