Julian Casablancas
基本情報
出生名Julian Fernando Casablancas
別名Jules
生誕 (1978-08-23) 1978年8月23日(45歳)
出身地 アメリカ合衆国・ニューヨーク
ジャンルインディー・ロック、ニュー・ウェーブ、オルタナティブ・ロック、ガレージロック・リバイバル、ポストパンク・リバイバル
職業歌手、作曲家
担当楽器ボーカル、キーボード、ギター、ベース、ドラム、ギターシンセサイザー、マウスハープ
活動期間1998?現在
レーベルCult Records, ラフ・トレード、RCA、Sony BMG
共同作業者ザ・ストロークス、クイーンズ・オブ・ザ・ストーン・エイジ、The Lonely Island、デンジャー・マウス、 N.E.R.D、Santigold
公式サイト ⇒Official Website
ジュリアン・フェルナンド・カサブランカス(Julian Fernando Casablancas 1978年8月23日- )は、アメリカのロックバンド、ザ・ストロークスのボーカルとソングライティングにおける中心人物。独特のしわがれたロックヴォイスを持ち、ライブでの飄々とした立ち振る舞いも相まってバンドの雰囲気を決定づけている人物。非常に熱心な野球ファンで、地元のニューヨーク・メッツをこよなく愛する。
2009年、ソロアルバムを発表した。
2013年よりロックバンドジュリアン・カサブランカス + ザ ヴォイズ
での活動も行っている。ニューヨークで、カタルーニャ系アメリカ人である実業家のジョン・カサブランカス(エリート・モデル・マネジメント創始者)[1]とデンマークの元モデルで1965年にミス・デンマークに選ばれたジャネット・クリスチャンセンの間に生まれた[2]。祖父は織物業界では有名な実業家であるフェルナンド・カサブランカスである[3]。9歳のときに両親は離婚し、彼はニューヨークで母親に育てられた[4]。ほどなくして母は画家のSam Adoqueiと再婚し、彼の好んでいたドアーズやフィル・コリンズがジュリアンに大きな影響を与えたという。
ザ・ストロークス[ソースを編集]
まず出合ったのは後にストロークスのベーシストになるニコライ・フレイチュアだった。ジュリアンとニコライはニューヨークのフレンチスクールであるリセ・フランセ(Lycee Francais de New York)に通っていた。(ニコライは1997年[5]、ジュリアンは1996年に卒業[6]。)しかし14歳の時、ジュリアンは学校の前で飲酒しているところを捕まえられ、週二度ほど麻薬常習者更生センターの更生プログラムを受けさせられていた[7]。その後すぐ、父によってスイスの名門寄宿学校であるル・ロゼへ送られた[8]。そこでの少しの滞在の間に、将来ストロークスのギタリストとなるアルバート・ハモンドJr.に出会い[9][10]ニューヨークへと帰国。Dwight Schoolへ入学し、その後ストロークスのもう一人のギタリストとなるニック・ヴァレンシ、ドラマーとなるファブリツィオ・モレッティと出会う[11]。
私生活[ソースを編集]
2005年2月にストロークスの元アシスタントマネージャーであるジュリエット・ジョスリンと結婚し[12]、2010年1月に息子のCalが生まれた[13]。
エピソード[ソースを編集]
コートニー・ラブの2004年のアルバム「America's Sweetheart」に収録されている曲But Julian, I'm a Little Bit Older Than Youのジュリアンとはジュリアン・カサブランカスのことであり、彼に向けて書かれた曲である[14]。
ディスコグラフィー[ソースを編集]
ストロークス[ソースを編集]
Is This It
Room on Fire
First Impressions of Earth
Angles
Comedown Machine