ジュラルミン
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この項目では、合金の一種について説明しています。『よつばと!』のキャラクターについては「よつばと!#小岩井家」をご覧ください。
飛行船アクロンの廃ジュラルミン材で造ったオーナメント

ジュラルミン (Duralumin) とは、アルミニウムマグネシウムなどによるアルミニウム合金の一種。
歴史

1903年頃[1]からドイツ中西部のデューレン(ドイツ語版)に住むアルフレート・ヴィルム[1]は、鋼と同じように他の金属でも適当な元素を添加して焼入れを行えば硬さが増すと考え、実験を繰り返したもののまったく硬くはならなかった[2]薬莢の材料として従来は銅と亜鉛の合金の黄銅を用いていたが、ヴィルムは「もっと軽いアルミニウムを銅と混ぜたらよいのではないか」という発想から4%の銅を混ぜたアルミニウム合金を考えた[1]。1906年9月のある土曜日、ヴィルムは銅4%とマグネシウム0.5%を含むアルミニウム合金を焼入れし、月曜日に硬さを測定したところ、合金は著しく硬くなっていた[2]。これが金属の時効硬化現象の発見である[2]
ジュラルミンの工業生産

この合金は、1909年[1]にデューレナー・メタルヴェルケ社(ドイツ語版)から銅4.2 %、マグネシウム0.5 %、マンガン0.6 %を含む組成のアルミニウム合金「ジュラルミン」として発売された[2]。デューレナー・メタルヴェルケ社50年史(1935年)によれば[3]、ジュラルミンとは地名のデューレンとアルミニウムの合成語とする説と、ラテン語でhardを意味するdurusとaluminiumの合成語とする説がある。

この頃に始まったモノコック成形に最適で、高い耐破断性を持つうえに超軽量であるうえ、第一次世界大戦の前夜というタイミングでもあり[1]1910年代にはツェッペリンの骨組みに採用された[2]

日本では、1916年大正5年)に住友伸銅所(住友金属工業、住友軽金属工業を経て現・UACJおよび日本製鉄)でジュラルミンの研究が開始された[4]。そのきっかけは1916年にロンドンに出撃して撃墜されたツェッペリンの骨材をロンドン駐在の海軍監督官が入手して持ち帰ったことによる[2][5]海軍艦政本部は住友伸銅所に分析を依頼して航空機用アルミニウム合金の開発に着手し、金属片の分析や英国金属学会誌の文献をもとに試作研究が繰り返され、1919年(大正8年)頃には工場試作品が完成するまでに至った[2]。その残材の一部は現存しており、住友軽金属の後身であるUACJの技術開発研究所で保管されている[2]1921年(大正10年)には住友伸銅所でジュラルミンの工業生産が開始され、翌年には中島ブレゲー型飛行機B-6型の構造体に国産ジュラルミンが使用された[2]
超ジュラルミンの開発

1928年アルコア社はケイ素を添加した14S(銅0.4 %、マグネシウム0.4 %、ケイ素0.9 %、マンガン0.8 %のアルミニウム合金)を開発した[2]

さらに1931年、アルコア社はマグネシウム含有量を増加した24S(銅4.5 %、マグネシウム1.5 %、マンガン0.6 %のアルミニウム合金)を開発した[2][6]

1920年代当時はジュラルミンの強度を超える合金を超ジュラルミンと呼んでいたが、24Sの開発後は24Sが超ジュラルミンと呼ばれるようになった[2]

1943年、アルコア社は 24Sに対しマグネシウムなどの添加量を変えた 75S(後のA7075)を開発[6]
超々ジュラルミンと戦後

1936年(昭和11年)に住友金属工業は超々ジュラルミン (ESD) を開発し、帝国陸海軍軍用機にもESDほかのジュラルミン材が多用された[5]

もっとも、ジュラルミンには水(特に海水)に対する耐食性に問題があり、飛行艇の底面や水上機フロート(舟)喫水下部分には、「銅を含まないアルミニウム材」や、ある程度の重量増と引き換えにアルクラッド材を使用せねばならなかった。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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