ジュディス・バトラー
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ジュディス・バトラー
Judith Butler
ジュディス・バトラー
生誕 (1956-02-24) 1956年2月24日(68歳)
アメリカ合衆国オハイオ州クリーブランド
時代20世紀の哲学
21世紀の哲学
地域西洋哲学
アメリカ合衆国の哲学
学派大陸哲学
第三波フェミニズム
ポスト構造主義
研究分野フェミニズムジェンダー人間の性クィア理論
政治哲学
倫理学
精神分析学
ディスクール
ユダヤ哲学
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ジュディス・バトラー(Judith P. Butler、1956年2月24日 - )は、アメリカ合衆国哲学者

政治哲学・倫理学から現象学まで幅広い分野で活動するが、とくに現代フェミニズム思想を代表する一人とみなされている[1]。現在、カリフォルニア大学バークレー校修辞学比較文学教授
来歴

1956年、オハイオ州クリーヴランドでアシュケナージ系ユダヤ人(迫害を逃れドイツ語圏・旧東欧諸国に移住したユダヤ人)の家庭に生まれる[2]。バトラーの回想によると幼少の頃から哲学書を耽読し、とくにキルケゴール『あれか、これか:ある人生の断片』やショーペンハウアー『意志と表象としての世界』、スピノザ『倫理学』などを愛読した[3]

生家の近くにあったシナゴーグに通う年齢になると、ラビの手ほどきでスピノザ神学やドイツ観念論を体系的に学んだ[3]。高校を卒業すると、まずベニントン・カレッジ、ついでイェール大学で哲学を専攻したのち、1978年にイェール大学で哲学の博士号を取得[4]。この間、フルブライト留学生としてドイツに滞在し、ハイデルベルク大学でガダマーの講義を受講している[5]

博士号取得後はウェズリアン大学で研究員として研究をつづけるかたわら、博士論文を改稿し『欲望の主体:ヘーゲルと二〇世紀フランスにおけるポスト・ヘーゲル主義』と題して出版した。1987?88年までプリンストン高等研究所で過ごしたあと、ジョージ・ワシントン大学で哲学の准教授に就任。バトラーが主著のひとつ『ジェンダー・トラブル』を執筆したのはこの頃である[6]ジョンズ・ホプキンス大学へ移ってそこに1993年まで教鞭をとったのちカリフォルニア大学バークレー校に移り、現在まで同校で研究を続けている。

1990年に刊行された『ジェンダー・トラブル』でバトラーは、ミシェル・フーコーによって先鞭をつけられたジェンダーセクシュアリティ研究を大胆に推し進めた。また同書は政治哲学・ジェンダー学のみならず、文学批評からフェミニズム運動まで幅広い領域においてジェンダーと性的マイノリティをめぐる画期的な主張と受け止められ、バトラーは世界的な名声を博することになった[2]

以後『問題=物質となる身体』(1993)、『権力の心的な生』『触発する言葉』(ともに1997)から『アセンブリ―行為遂行性・複数性・政治』(2015)まで精力的に単著を発表しつづている。

またバトラーは研究者であると同時に活発な政治活動家でもあり、セクシュアリティに関わる数多くの政治団体に協力して頻繁に政治的発言を行っている[4]。1994?97年までニューヨークに本拠を置く「国際ゲイ・レズビアン人権委員会」の代表を務めたほか、アメリカによるアフガニスタンやイラク侵入、アブグレイブ収容所事件などに際しても抗議活動に加わっている[1]。2012年テオドール・アドルノ賞受賞。
ジェンダー・トラブル

研究活動の最初期からバトラーが一貫して関心を抱き続けているのは、欲望と主体の関係、つまり人間が物事を判断したり何かに欲望を向けたりするとき、何がそうした判断・欲望の主体となるのか、そうした行動は歴史・社会からどのような制約を受けて成り立っているのか、ということだった[1]。近代社会は個人が「独立した主体として判断をくだす」ことが当然の前提となっているが、その主体性はそれほど自明なことだろうか、実際には歴史・社会による偶発的な制約が「主体」の中に複雑に入り込み、その「主体」の意識しないところでさまざまな抑圧を受けているのではないか、という問題意識がそこにはあった[6]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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