ジャージー・ボーイズ
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『ジャージー・ボーイズ』 (: Jersey Boys) はボブ・ゴーディオ作曲、ボブ・クルー作詞、マーシャル・ブリックマンおよびリック・エリス脚本による2005年のジュークボックス・ミュージカル。1960年代に活躍したブルー・アイド・ソウル・コーラス基調のロックンロールグループ「フォー・シーズンズ」の結成、成功、一部オリジナルメンバーの脱退までを脚色したドキュメンタリー・スタイルを採っている。このミュージカルは四季(フォー・シーズンズ)ごとに場面展開され、それぞれの場面を別のバンド・メンバーがそれぞれの視点によりバンドの経歴や音楽を語り継ぐ。「恋のヤセがまん(英語版)」、「シェリー」、「1963年12月 (あのすばらしき夜)」、「瞳の面影(英語版)」、「ステイ(英語版)」、「君の瞳に恋してる」、「君のもとへ帰りたい(英語版)」、「悲しきラグ・ドール(英語版)」などの曲が使用されている。タイトルの『ジャージー・ボーイズ』はフォー・シーズンズのメンバー達がニュージャージー州出身であることに由来している。

2005年、ブロードウェイで開幕し、2度の全米ツアーを行なった他、イギリスロンドンのウエスト・エンド・シアター、ネバダ州ラスベガスイリノイ州シカゴカナダオンタリオ州トロントビクトリア州メルボルンを含むオーストラリア各地、シンガポール南アフリカオランダでも上演された。2006年、トニー賞においてミュージカル作品賞を含む4部門を受賞し、2009年、ローレンス・オリヴィエ賞においてミュージカル作品賞を受賞した。

2016年、日本語版がシアタークリエで上演[1]。(後述)
製作

『Buddy ? The Buddy Holly Story 』、『マンマ・ミーア!』の成功後、フォー・シーズンズのオリジナル・メンバーであるボブ・ゴーディオとプロデューサーのボブ・クルーはフォー・シーズンズの楽曲を使い、同様のジュークボックス・ミュージカルを製作することを検討した。脚本にリック・エリスおよびマーシャル・ブリックマン、演出にデス・マカナフを迎えた。マカナフはABBAの曲を使用した『マンマ・ミーア!』のような独自の物語ではなく、フォー・シーズンズの経歴を物語ることを提案した[2]。ブリックマンはこれについて「クラシックなアメリカの物語であり、またアメリカン・ドリームでありながらその逆も含んでいる」としてこの案に賛成した[3]

フォー・シーズンズが活躍していた時代、雑誌類は彼らについてあまり多くを記事にしなかったため、この公演までフォー・シーズンズの経歴があまり知られることはなかった[3][4]。作品を作る上での彼らの調査により、ブリックマンとエリスはメンバー達に逮捕歴があり活動の妨げになることを恐れ隠蔽されてきていたことに驚かされた[2][4]。ゴーディオによると「当時、少しばかりイメージ・アップを図られた。決して忘れた訳ではない。この話が表沙汰になるのは私達にとってとても恐ろしかった」[5]。この時代、他のバンドは不良のようなイメージを打ち出していたが、フォー・シーズンズは大多数の人々に良い印象を与えたかったのだ[3]

ブリックマンとエリスはフォー・シーズンズのメンバーのゴーディオ、フランキー・ヴァリトミー・デヴィートのインタビュー素材を使用することにした。ブリックマンはメンバーそれぞれが在籍時に違う視点を持っていたことに着目した。デヴィートは「あいつらの言うことを聞くな。俺が本当のことを教えてやる」とメンバーのうち3人に言った。エリスは、デヴィート側からすると発見の瞬間であったが、他のメンバー側からするとこれとは矛盾しており、違う視点から同じ出来事を描く羅生門効果を取り入れた[2][6]。脚本家達はマフィアのボスの故ジプ・デカルロの家族と連絡を取り、彼に敬意を表し作品に描いた[5][7]

ゴーディオは初期の製作チームに属していたが、試験興行の際には製作に関わっておらず、公演が始まると出演者には1度しか会わなかった[8]。ゴーディオ、ヴァリ、デヴィートは自身の客観性に欠けることから製作から手を引くことを決心し、ブリックマン、エリス、マカナフに全てを任せることにした[4]。しかしゴーディオとヴァリはもし気に入らなかったら公演をやめさせると語っていた[6]
上演

2004年10月5日から2005年1月16日、カリフォルニア大学サンディエゴ校のラホヤ・プレイハウスで『ジャージー・ボーイズ』の郊外での試験興行が行なわれた[9]。クリスチャン・ホフ、デイヴィッド・ノロナ、ダニエル・リチャード、J・ロバート・スペンサーがフォー・シーズンズを演じた[10]。試験興行の最後には、フランキー・ヴァリを演じたノロナは声が出なくなってしまい降板せざるを得なかった。トミー・デヴィート役のオーディションを受けていたジョン・ロイド・ヤングがヴァリ役を引き継いだ[11]

2005年10月4日からブロードウェイでのプレヴュー公演が始まり、2005年11月6日、オーガスト・ウィルソン・シアターで正式に公演が始まった。出演者はフランキー・ヴァリ役にジョン・ロイド・ヤング、トミー・デヴィート役にクリスチャン・ホフ、ボブ・ゴーディオ役にダニエル・リチャード、ニック・マッシ役にJ・ロバート・スペンサー。当時ラホヤ・プレイハウスの芸術監督であったデス・マカナフが演出を担当し、セルジオ・トゥルジロが振付を担当。ブロードウェイではプレビュー公演を38回上演後、現在も上演し続けている[12]。2015年2月15日現在、公演回数は3,844回に到達し、ブロードウェイで歴代13番目(上演中のもののなかでは6番目)に長く上演された公演となった[13]。「ジュークボックス・ミュージカル」のジャンルに限れば、「マンマ・ミーア!」(現在も上演中)に次ぐロングランである。

2006年12月10日、最初の全米ツアーがサンフランシスコのカレン・シアターから始まり、38都市を巡業した。フィラデルフィアのフォレスト・シアターでは8回興行記録を更新した[14]

2007年5月、第1回全米ツアーが行なわれている間、ニック・マッシ役のオリジナル・ブロードウェイ・キャストのスティーヴ・グーヴェイアを含む2つ目のカンパニーがカレン・シアターでデビューし、その後2007年10月5日からシカゴのバンク・オブ・アメリカ・シアターでロングラン公演を行なった[15]。このシカゴ公演での出演者は第59回プライムタイム・エミー賞の中でHBOの『ザ・ソプラノズ 哀愁のマフィア』のトリビュートに出演した[16]。2007年11月20日から12月30日のホリデー・シーズンにフランキー・ヴァリ役にリック・フォーノ、ボブ・ゴーディオ役にアンドリュー・ラネルズ、トミー・デヴィート役にブライアン・マケロイ、ニック・マッシ役にジェフ・リーボー出演でカレン・シアターで再演された。この公演出演者のほとんどがラスベガス公演のオリジナル・キャストとなり、2009年5月3日日曜日、ザ・パラッゾ・ホテルに新設されたジャージー・ボーイズ・シアターで上演開始された[17]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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