フランスの政治家ジャン=リュック・メランションJean-Luc Melenchon
ジャン=リュック・メランション(2017年)
生年月日 (1951-08-19) 1951年8月19日(72歳)
出生地 フランス保護領モロッコ、タンジェ
出身校フランシュ=コンテ大学
所属政党社会党(1977年 ? 2008年)
左翼党(2008年 ? 現在)
左翼戦線
ジャン=リュック・メランション(フランス語: Jean-Luc Melenchon(フランス語発音: [???lyk mel??????])、JLM, 1951年8月19日 - )は、フランスの政治家。現在、国民議会議員。2008年から2014年まで、マルティーヌ・ビヤル(英語版)と共に左翼党の共同党首を務めていた。 モロッコのタンジェ[1](詳しくはタンジェ国際管理地域内)に生まれた。父は郵便局員で、スペイン出身の母は学校教師だった。モロッコ北部で育ち、両親の離婚に伴い1962年にフランスへ移住し、ジュラ県ロン=ル=ソーニエのルージェ・ド・リール高等学校で学んだ。フランシュ=コンテ大学
経歴
1983年から1995年まで、エソンヌ県マシー市元老院委員・市長。1983年から2001年まで、マシー市長会委員。1998年から2001年まで、エソンヌ県大評議会副議長。1985年から1992年まで、1998年から2004年までエソンヌ県大評議会議員。1998年に再任。
1986年、エソンヌ県選出の元老院議員として当選(35歳での当選は当時最年少)。1995年に再任され、2000年まで務めた。
2000年から2002年まで職業教育大臣を務めた[1]。2004年に元老院議員に再任され、2010年まで務めた。
2008年11月に国民議会議員マルク・ドレズ(フランス語版)と共に社会党を離党[2][3]して左翼党を創設した。
左翼党の党首として、2009年欧州議員選前に左翼戦線に加わり、南西仏選挙区の候補者として選ばれた。この選挙で8.15%の得票率を収めて欧州議会議員に当選した。
2010年に行われた年金制度改革に抵抗する運動の際、何回か公演やテレビ番組に出た影響で、公に知られるようになった。 2012年フランス大統領選挙で、フランス共産党・左翼党・統一左翼党 大統領選挙に敗れた後、メランションは2012年フランス議会総選挙においてパ=ド=カレー県第11選挙区から立候補、ル・ペンとの直接対決に臨んだ[6]。しかし第1回投票で社会党のフィリップ・ケメル
選挙
2012年大統領選挙
2012年国民議会議員選挙
事前の世論調査では第1回投票の上位2人が進出する決選投票への進出はないとされたものの、一時は結果として第1回投票で3位となったマリーヌ・ル・ペン(国民戦線)に迫る支持を集めたが、結果としてル・ペンに得票で倍近い差をつけられた(第4位、得票率11.10%、3,984,822人[8])。 2017年フランス大統領選挙では事前の世論調査で支持率を伸ばし3位まで浮上し、決選投票に進む可能性も指摘されたが[9]、結局は第1回投票で4位となり、決選投票には残れなかった(得票率19.58%、7,060,885人[10])。 2017年フランス議会総選挙においてブーシュ=デュ=ローヌ県第4選挙区から立候補し得票率59.85%で当選[11]。 2022年フランス大統領選挙では2022年4月10日の第1回目投票で3位(得票率22.00%)となり、決選投票に進めず落選した[12]。 2017年フランス大統領選挙において、以下の公約を掲げた[13]。( 大統領選挙パンフレット「人民の力」) [第六共和政]大統領権限の縮小、議会の強化、直接民主制の部分的導入(ランダムで選ぶ市民のための議員枠)。 [労働者の権利強化]人員削減のための労使協議会に猶予拒否権を付与、経営危機時の配当金の支払いの禁止、様々な労働組合の権限強化。 [治安対策]科学警察の強化、警察署の改修促進、対テロ戦争からの撤退、人身売買対策の強化。 [経済]金融取引課税、経営陣や株主の法外な報酬の規制、脱税や不法投機対策としての資本移動の監視強化。
2017年大統領選挙
2017年国民議会議員選挙
2022年大統領選挙
政治思想オリヴィエ・ブザンスノとジョゼ・ボヴェと談笑するメランション(2005年)
Size:24 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
担当:undef