ジャン=シャルル・カザン
[Wikipedia|▼Menu]

ジャン=シャルル・カザン
Jean-Charles Cazin
Paul Renouardによる肖像画
誕生日1840年5月25日
出生地フランス,サメール
死没年1901年3月17日
死没地フランス,Le Lavandou
テンプレートを表示

ジャン=シャルル・カザン(Jean-Charles Cazin、1840年5月25日 - 1901年3月17日)はフランスの風景画家である。
略歴

パ=ド=カレー県のサメール(Samer)で生まれた。1846年に家族とブローニュ=シュル=メールに移った。1862年にパリに出てパリのプチ・エコール(後の国立高等装飾美術学校)でオラース・ルコック・ド・ボワボードランに学んだ。1863年の「落選展」に出展している。1863年から1868年までEmile Trelatが校長を務める私立の建築学校(Ecole Speciale d'Architecture)で絵を教えた。1868年に画家、版画家の Marie Cazin (1844?1924) と結婚した。1868年にトゥールの美術館の学芸員に任じられ、美術館の絵画学校の校長も務めた。

普仏戦争の後、混乱していたフランスを離れ、プチ・エコールの先輩の彫刻家のジュール・ダルーと1870年代の初めにアルフォンス・ルグロが活動していたイギリスに渡った。イギリスで美術学校を開こうとしたがこれは成功しなかった。イギリスではヴィクトリア&アルバート博物館で工芸品を研究し、磁器のデザインの仕事をした。

1874年にイギリスを離れ、イタリア、オランダを旅してフランスに戻った、1876年にサロン・ド・パリに出展した。パ=ド=カレー県のブローニュ=シュル=メールに居を構え、宗教的な題材や歴史画も描いたがパ=ド=カレー県の風景を主に描いた。パリのパンテオンピエール・ピュヴィス・ド・シャヴァンヌの未完の装飾画を完成させた。

パリの工芸学校で同窓であったオーギュスト・ロダンの友人で、ロダンの彫刻、『カレーの市民』の一人のウスタシュ・ド・サン・ピエールの像のモデルを務めた。

1882年にレジオンドヌール勲章(シュヴァリエ)を受勲し、1889年にレジオンドヌール勲章(オフィシエ)を受勲した。
作品

船大工の作業場 (c.1875)

『虹』(1883)

砂丘の小屋


ハガルとイシュマエル

トビトと天使

深夜

パリの風景

参考文献

G. P. Weisberg: Cazin, Jean-Charles. In: Allgemeines Kunstlerlexikon. Die Bildenden Kunstler aller Zeiten und Volker (AKL). Band 17, Saur, Munchen u. a. 1997,
ISBN 3-598-22757-4, S. 417 f.

外部リンク

Jean-Charles Cazin bei Google Arts & Culture

典拠管理データベース
全般

FAST

ISNI

VIAF

WorldCat

国立図書館

フランス

BnF data

ドイツ

イスラエル

ベルギー

アメリカ

チェコ

ポーランド

ポルトガル

芸術家

KulturNav

オルセー美術館

ヴィクトリア国立美術館

オランダ美術史研究所データベース

ULAN

人物

ドイッチェ・ビオグラフィー

その他

SNAC

IdRef


記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:7196 Bytes
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef