ジャン・ロビック(Jean Robic、1921年6月10日?1980年10月6日)は、フランス・アルデンヌ県ヴージエ出身の元自転車競技選手。 1947年、第二次世界大戦後初の開催となったツール・ド・フランスにおいて劇的な大逆転優勝を演じる。最終第21ステージを前にして、総合首位はイタリアのピエール・ブランビラ
経歴
その後ツール・ド・フランスでは、1968年にヤン・ヤンセンが、1989年にグレッグ・レモンがいずれも最終ステージで逆転して総合優勝を果たすことになるが、この2例はいずれも個人タイムトライアルでの逆転であり、マスドスタート形式での逆転というのは、2007年現在、ロビックが逆転を決めたこの一例のみである。
1950年、第1回のシクロクロスの世界選手権が開催されたが、ロビックはプロ部門の初代優勝者となった。一方この年のツール・ド・フランスの第11ステージにおいて、イタリアのジーノ・バルタリに転倒させられたことがきっかけとなり、バルタリを含むイタリアナショナルチーム全選手が翌第12ステージ途中で棄権するという事態に繋がった。
気難しい性格が災いし、引退後しばらく、第二の人生をなかなか歩めずにいたという。1980年、フランス中北部のクレイスイイで交通事故に遭い死去した。なお、ロビックが1947年のツール総合優勝を決めるきっかけとなった地点であるルーアンに、ロビックの記念碑が建てられている。
外部リンク
⇒ジャン・ロビック - サイクリングアーカイヴス(英語)
表
話
編
歴
ツール・ド・フランス総合優勝者
1903 モリス・ガラン
1904 アンリ・コルネ
1905 ルイ・トゥルスリエ
1906 ルネ・ポティエ
1907 ルシアン・プティブルトン
1908 ルシアン・プティブルトン
1909 フランソワ・ファベール
1910 オクタヴ・ラピーズ
1911 ギュスタヴ・ガリグー
1912 オディル・ドフレイエ
1913 フィリップ・ティス
1914 フィリップ・ティス
1915 第一次世界大戦
1916 第一次世界大戦
1917 第一次世界大戦
1918 第一次世界大戦
1919 フィルマン・ランボー
1920 フィリップ・ティス
1921 レオン・シウール
1922 フィルマン・ランボー
1923 アンリ・ペリシエ
1924 オッタビオ・ボテッキア
1925 オッタビオ・ボテッキア
1926 ルシアン・ビュイス
1927 ニコラ・フランツ
1928 ニコラ・フランツ
1929 モリス・デワール