ジャン・マリア・ヴォロンテ
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ジャン・マリア・ヴォロンテ
Gian Maria Volonte
晩年のヴォロンテ
本名Gian Maria Volonte
別名義Johnny Wels
生年月日 (1933-04-09) 1933年4月9日
没年月日 (1994-12-06) 1994年12月6日(61歳没)
出生地 イタリア王国 ミラノ
死没地 ギリシャ フロリナ
国籍 イタリア
職業俳優
活動期間1959年 - 1993年
主な作品
コーザ・ノストラ』(1973年)

 受賞
カンヌ国際映画祭
男優賞
1983年『La morte di Mario Ricci』
ヴェネツィア国際映画祭
栄誉金獅子賞
1991年
ベルリン国際映画祭
銀熊賞(男優賞)
1987年『首相暗殺』
ヨーロッパ映画賞
審査員特別賞
1990年宣告
その他の賞

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ジャン・マリア・ヴォロンテ(Gian Maria Volonte、1933年4月9日 - 1994年12月6日)は、イタリアミラノ出身の俳優。イタリアを代表する世界的な名優として知られた。
経歴

1933年4月9日イタリアミラノで生まれた。1957年ローマの俳優養成所を卒業、当初は主に舞台やテレビドラマで活躍した。1960年に映画初出演。

1964年セルジオ・レオーネ監督のマカロニ・ウェスタン荒野の用心棒』で悪役であるラモン・ロホを演じた(本名ではなくアメリカ人風の偽名ジョニー・ウェルズとしてクレジット)。翌1965年の『夕陽のガンマン』では麻薬中毒ギャングの頭目エル・インディオを演じ、この二作の成功でヴォロンテは一躍スター俳優にのし上がる。これ以降国内外の多くの映画に出演、イタリアを代表する俳優として世界的な知名度を得る。

映画でしばしば狂気を感じさせる悪役を演じており、『殺人捜査』で演じた、殺人を犯したエリート刑事がその最もたる例である。彼はバルトロメオ・バンゼッティラッキー・ルチアーノなど、実在の人物を演じる事もあった。

ヴォロンテの演技力は批評家から高く評価され、イタリアのアカデミー賞とも呼ばれるダヴィッド・ディ・ドナテッロ賞の主演男優賞(1970年、1990年)、カンヌ国際映画祭男優賞(1983年)、ベルリン国際映画祭銀熊賞(1987年)など多くの映画賞を受賞した。1991年にはその生涯における業績を表彰して、ヴェネツィア国際映画祭栄誉金獅子賞が贈られた。

優れた映画俳優としてのみならず、熱心な政治運動家としても有名であった。彼は進歩主義的な思想で知られ、イタリア共産党と深い関わりを持った[1]

1994年12月6日に映画『ユリシーズの瞳』撮影のため滞在していたギリシアフロリナで、映画の撮影中に心筋梗塞で死亡した。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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