ジャン・カステックス
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フランス政治家ジャン・カステックスJean Castex
2020年7月15日
生年月日 (1965-06-25) 1965年6月25日(58歳)
出生地 フランス ジェール県ヴィック=フェザンサック
出身校トゥールーズ・ジャン・ジョレス大学
パリ政治学院
フランス国立行政学院
前職官僚
所属政党(共和党→)
無所属
配偶者サンドラ・リブレイグ
子女4人
サイン
フランス
第24代首相
内閣ジャン・カステックス内閣
在任期間2020年7月3日 - 2022年5月16日
大統領エマニュエル・マクロン
その他の職歴
プラード
第57代市長
2008年3月18日 - 2020年7月3日
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ジャン・カステックス(Jean Castex、1965年6月25日 - )は、フランス政治家、官僚。エマニュエル・マクロン大統領の下で第24代首相を務めた(2020年7月3日 - 2022年5月16日)。プラード市長を歴任した。
来歴

1965年6月25日ジェール県ヴィック=フェザンサックに誕生する。国民運動連合から改称された共和党党員となった。2008年3月から2020年7月までピレネー=オリアンタル県プラード市長、2011年2月から2012年5月までフランス共和国大統領府(フランス語版)事務次長、2010年3月から2015年4月までラングドック=ルシヨン地域圏議会議員、2015年4月から2020年7月までピレネー=オリアンタル県議会議員を務めた。

2020年4月にはコロナウイルス感染症の流行を受けて、フランスで行われたロックダウン(フランス語版)の段階的な廃止の調整を担当している。その後、エマニュエル・マクロンによってエドゥアール・フィリップの後継の首相に任命された。共和党にとどまったフィリップと異なり、カステックスは首相就任に当たって共和党を離党した。2022年5月16日、マクロンに辞表を提出し、受理された[1]
学生・研修時代

1979年から1982年までオート=ピレネー県のモンレオン=マニョアック(フランス語版)にあるノートルダム・ド・ガレゾン(フランス語版)(カトリックの教育機関)の生徒であった[2][3]。カステックスは1982年バカロレアを取得し、その後トゥールーズ・ジャン・ジョレス大学歴史学の学位を取得した[4]1986年パリ政治学院を卒業し、1987年には公法修士号を取得し[5]1989年にはフランス国立行政学院(ENA, ヴィクトル・ユーゴー学年)に入学した[4]

1991年に国立行政学院を卒業後は会計院(英語版)に入り、1994年に判事となり、2008年に上席判事を務めた。

1996年ヴァール県保健社会局長に任命された後[6]、1999年から2001年までヴォクリューズ県事務局長、2001年から2005年までアルザス地方監査会議所議長を務めた[7]
官僚として

2005年から2006年まで厚生省の医療提供総局(フランス語版)で入院・ケアの組織化のディレクターを務め、病院における目的概念の導入やコスト合理化に貢献した[8]2006年から2007年まで厚生省でグザヴィエ・ベルトラン秘書官を務め、2007年から2008年まで労働省(フランス語版)に勤務した[9]

2010年11月にレイモン・スービエ(フランス語版)[8]の後任として、大統領府のニコラ・サルコジの社会問題顧問に就任した。2011年2月28日にはエリゼの事務次長に任命され[10]2012年5月15日のサルコジ大統領の任期満了までその職を務めた[11][12][13]
政治家としての経歴
地方政治プラード市庁舎

2008年3月にプラード市長に当選し、2010年3月にはピレネー=オリアンタルでレイモン・クーデルク(フランス語版)の国民運動連合-NC(フランス語版)連合を率いた後、ラングドック=ルシヨン地域圏議会議員に当選した。2015年までこの職に就いている[9]

2014年3月の市長選挙では、1回戦で70.2パーセントの得票率でプラード市長に再選された[14]

2015年3月にはエレーヌ・ジョセンデと共にカタルーニャ・ピレネー・カントンの部局評議員に選出された[15][16]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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