ジャン・ウィルキンス
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ジャン・ウィルキンス
プロフィール
リングネームジャン・ウィルキンス
(ジャン・ウィルケンズ)
ジャン・ウィルコ
ニックネーム南アフリカの帝王
[1]
ヨハネスブルグの巨人[2]
身長190cm[1] - 196cm[2]
体重120kg[1] - 130kg[3]
誕生日 (1931-07-02) 1931年7月2日(92歳)[1]
出身地 南アフリカ共和国
ハウテン州ヨハネスブルグ[3]
スポーツ歴レスリング[1]
デビュー1952年[1] または1955年[3]
引退1987年[3]
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ジャン・ウィルキンス(Jan Wilkens、1931年7月2日 - )は、南アフリカ共和国の元プロレスラー[1]ハウテン州ヨハネスブルグ出身[2]

1970年代の南アフリカのマット界を代表するレスラーであり[4]アメリカや日本から選手を招聘するなどプロモーターとしても活動した。
来歴

プレトリア大学ではレスリングのキャプテンとして鳴らし、1952年ケープタウンにてデビューしたとされる[1](デビュー年は1955年ともされる[3])。

その後ヨーロッパに渡り、スペインイタリアフランスを経てイギリスのマット界に進出[5]ロンドンロイヤル・アルバート・ホールでは、1965年から1966年にかけて、ゴードン・ネルソンポール・バションなど北米の選手とも対戦した[2]

1969年6月、当時ヨーロッパを外国人選手の招聘ルートとしていた国際プロレスにエース格として初来日[5]。欧州出身のウィリアム・ホールやアメリカ人レスラーのチーフ・ダニー・リトルベアをパートナーに、当時サンダー杉山&ラッシャー木村が保持していたTWWA世界タッグ王座に挑戦した[6]

1973年3月には、NETのテレビ中継がようやく決定した黎明期の新日本プロレスに来日。新日本プロレス版『ワールドプロレスリング』初放送の試合において、マヌエル・ソトと組んでアントニオ猪木&柴田勝久とタッグマッチで対戦した。この来日時も外国人エースを務め、大阪では猪木とのシングルマッチも行われている[7]

本国の南アフリカでは、1973年8月2日にケープタウンにて、オーストリアオットー・ワンツとCWA世界ヘビー級王座の初代王者決定戦を争った[8]。この試合には敗退したものの、翌1974年には故郷のヨハネスブルグにてEWU(ヨーロピアン・レスリング・ユニオン)の世界スーパーヘビー級王者に認定され[9]、さらにサウス・アフリカン・ヘビー級王座も獲得[10]。以降は南アフリカのマット界のエースとなって活躍し、ドン・レオ・ジョナサン坂口征二スパイロス・アリオンオックス・ベーカータイガー・ジェット・シンセーラー・ホワイトら世界の強豪を退けた(1975年にジョナサン、1976年10月に坂口にEWU王座を奪われるも、いずれも短期間で奪還している[9][4]

1980年代に入っても、1981年10月にブラックジャック・マリガン1984年2月にはビッグ・ジョン・スタッドなど、スーパーヘビー級の大物選手を相手にEWU王座戦を行ったが、1984年11月に一時引退してタイトルを返上[9]。その後は単発的にリングに復帰し、1986年イゴール・ボルコフケビン・ワコーズと対戦。1987年にケープタウンにて引退興行が行われた。
得意技

ワンハンド・バックブリーカー[5]

ペンデュラム・バックブリーカー[4]

フライング・ヘッドシザーズ[5]

フィギュア・8・ネックシザーズ(首8の字固め)[5]

獲得タイトル
ヨーロピアン・レスリング・ユニオン


EWU世界スーパーヘビー級王座:6回
[9]

インターワールド・レスリング・プロモーションズ


サウス・アフリカン・ヘビー級王座:1回[10]


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