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ジャン・アレジ
2019年ジュネーブ国際モーターショー
基本情報
フルネームGiovanni Alesi
略称表記ALE
国籍 フランス
出身地同・アヴィニョン
生年月日 (1964-06-11) 1964年6月11日(59歳)
F1での経歴
活動時期1989 - 2001
所属チーム'89-'90 ティレル
'91-'95 フェラーリ
'96-'97 ベネトン
'98-'99 ザウバー
'00-'01 プロスト
'01 ジョーダン
出走回数202
タイトル0
優勝回数1
表彰台(3位以内)回数32
通算獲得ポイント241
ポールポジション2
ファステストラップ4
初戦1989年フランスGP
初勝利1995年カナダGP
最終勝利1995年カナダGP
最終戦2001年日本GP
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ジャン・アレジ(Jean Alesi, 1964年6月11日 - )は、フランス出身の元レーシングドライバー、実業家、資産家。
1987年のフランスF3選手権(英語版)、1989年の国際F3000選手権でチャンピオンを獲得。F1ではフェラーリなどで活躍し、アグレッシブな走りで人気を博した。F1引退後はドイツツーリングカー選手権(DTM)など様々なカテゴリに参戦した。
妻は日本の女優でモデルの後藤久美子。後藤との間に生まれた子供もおり[1]、長女はモデルのエレナ・アレジ・後藤、長男はレーシングドライバーのジュリアーノ・アレジ。 フランスのアヴィニョン生まれ。両親はシチリア出身のイタリア人であり、イタリア語名ではジョヴァンニ・アレージ (Giovanni Alesi) となる。実家は自動車修理工場で、父はフランス国内のラリーに出場するモータースポーツ愛好家だったことから、自然な成り行きでアレジは小さい頃から工場の敷地内でシトロエン・2CVや中古のルノー・5を動かして運転を覚えた。ルノー・5では草レースにも出場したが、ときには激しくやり過ぎて横転したこともあったという。父はそのルノーの購入資金を出してくれた上に、必要になればすべて修理してくれるなど協力してくれた。F3000時代でもピット内でそばに付き、「今も父はあれこれぼくに指示を出すんだよ(笑)」と語るなど、アレジの活動を大いにプッシュした[2]。 1980年、16歳でカートレースに参戦。同じチームには同い年でフランスカートチャンピオンを4度獲得したキャリアを持つエリック・ベルナールも所属しており、このカート時代からF1に至るまで15年同じカテゴリーに参戦することになった。ベルナールによると、「カートの最初からジャンには速さがあったよ。」と述べている[3]。同年中に四輪レースにステップアップ。1982年までコート・ダジュールとプロヴァンス地方で行われる「ブルークラス」レースシリーズに出場。1983年からルノー・5選手権で全国レベルのカテゴリーへと進出し、ここでランキング7位と新人賞を獲得した[4]。
経歴
生い立ち
四輪レースデビュー