この項目では、かつて存在したインドの州について説明しています。
この地域に現在存在する連邦直轄領については「ジャンムー・カシミール連邦直轄領」をご覧ください。
ジャンムー・カシミール州
Jammu and Kashmir
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インドの州(廃止)
旗紋章
ジャンムー・カシミールの位置.mw-parser-output .legend{page-break-inside:avoid;break-inside:avoid-column}.mw-parser-output .legend-color{display:inline-block;min-width:1.5em;height:1.5em;margin:1px 0;text-align:center;border:1px solid black;background-color:transparent;color:black}.mw-parser-output .legend-text{} 実効支配地域
領有権を主張している地域
政庁所在地シュリーナガル(夏季)
ジャンムー(冬季)[1]
州知事
ジャンムー・カシミール州 (ジャンムー・カシミールしゅう、ヒンディー語: ????? ?? ??????、カシミール語: ???? ?? ????? / ??? ??? ??????、ウルドゥー語: ?????? ?????、英語: Jammu and Kashmir)は、インド最北部に存在した州。
歴史詳細は「カシミール」、「ラダック」、「ザンスカール」、「バルティスターン」、および「アクサイチン」を参照
紀元前よりこの地域はマウリヤ朝が起こり、その後クシャーナ朝等を経て、ムガル帝国の支配下となる。ムガル帝国滅亡後、シク王国(1799年?1846年)が建国されてシク教徒の治世となり、1846年、ソブラーオンの戦い(英語版)でイギリス軍がこの地を占領し、イギリス統治下でジャンムー・カシミール藩王国(1846年-1947年)が成立した。
第二次世界大戦後の1945年9月にイギリス領インド帝国が解体され、1947年8月にインド連邦が成立した。しかし、インド・パキスタン分離独立の際、インドへの帰属(英語版)を表明したジャンムー・カシミール藩王や宗教などの軋轢から帰属権を巡って第一次印パ戦争が勃発、その後も紛争は継続した。
インドで唯一イスラム教徒が多数派となっている州であり、パキスタンとインドが領有を主張し、これまで大小の軍事衝突を繰り返し、現在はほぼ中間付近に停戦ラインが引かれている。1989年ごろから分離独立派による武装闘争が活発化し、その中心勢力であるジャンム・カシミール解放戦線(JKLF)はムフティ・ムハンマド・サイード(英語版)内務大臣の娘を誘拐する事件を引き起こしている[5]。さらにヒンドゥー教徒を襲撃する事件が相次ぎ、約4万5000人が殺害。こうした動きを受け、通常であれば州の政治を担う州首相を空席として大統領統治(英語版)による政治運営が1990年から1996年までなされた[6]。
1999年、カールギル紛争(英語版)。2005年10月の地震では、1,300人以上の死者を出した。
2019年2月14日、イスラム過激派組織による治安部隊への自爆テロであるプルワマ襲撃事件が発生[7]。