ジャンヌ・モロー
Jeanne Moreau
1958年、ヴェネツィア国際映画祭にて
生年月日 (1928-01-23) 1928年1月23日
没年月日 (2017-07-31) 2017年7月31日(89歳没)
出生地 フランス パリ10区
死没地 フランス パリ8区
職業女優、脚本家、映画監督、歌手
ジャンル映画
活動期間1947年 - 2012年
配偶者ジャン=ルイ・リシャール(1949年 - 1951年)
Teodoro Rubanis(1966年)
ウィリアム・フリードキン(1977年 - 1979年)
主な作品
『死刑台のエレベーター』(1958年)
『恋人たち』(1958年)
『雨のしのび逢い』(1960年)
『夜』(1961年)
『突然炎のごとく』(1962年)
『エヴァの匂い』(1962年)
『小間使の日記』(1964年)
『黒衣の花嫁』(1968年)
受賞
カンヌ国際映画祭
女優賞
1960年『雨のしのび逢い』
パルム・ドール・ドヌール
2003年
ヴェネツィア国際映画祭
栄誉金獅子賞
1992年
ベルリン国際映画祭
金熊名誉賞
2000年
ヨーロッパ映画賞
生涯貢献賞
1997年
英国アカデミー賞
外国女優賞
1965年『ビバ!マリア』
フェローシップ賞
1995年
セザール賞
主演女優賞
1992年『海を渡るジャンヌ』
名誉賞
1995年、2008年
その他の賞
芸術文化勲章
コマンドゥール
2007年
備考
第48回カンヌ国際映画祭 審査委員長(1995年)
第33回ベルリン国際映画祭 審査委員長(1983年)
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ジャンヌ・モロー(仏: Jeanne Moreau、1928年1月23日 - 2017年7月31日[1][2])は、フランスの女優、脚本家、映画監督、歌手。フランスを代表する女優として知られ、映画界への多大な貢献を評価されて、フランス内外から名誉賞等を授与されている[3][4]。 パリ生まれ。父はフランス人のレストラン経営者、母はイギリス人(イングランド・ランカシャー州出身)のキャバレー・ダンサーで、母の影響を受けて育つ[5]。パリのフランス国立演劇学校 (コンセルヴァトワール)で演技を学び、1947年に舞台デビュー[6]。劇団コメディ・フランセーズで頭角を現す。映画にも出演し始め、ルイ・マルの『死刑台のエレベーター』やフランソワ・トリュフォーの『突然炎のごとく』など、ヌーヴェルヴァーグの監督達の作品で国際的な名声を得る。 ミケランジェロ・アントニオーニ『夜』、ジョゼフ・ロージー『エヴァの匂い』、オーソン・ウェルズ『審判』、ルイス・ブニュエル『小間使いの日記』など、著名な映画監督と組み、ウェルズはモローを「世界で最も偉大な女優」と評した[7]。 マルグリット・デュラス原作の『雨のしのび逢い』でカンヌ国際映画祭主演女優賞を受賞。同じくデュラス原作の『マドモアゼル』では主演を、『愛人/ラマン』ではナレーションを務めている。『デュラス 愛の最終章』では生前親交があったデュラス本人を演じた。 映画界への多大な貢献を評価され、フランス内外から名誉賞等を授与されている。国内では1995年と2008年にセザール賞の名誉賞、2003年にカンヌ国際映画祭のパルム・ドール名誉賞、国外では1992年にヴェネツィア国際映画祭の栄誉金獅子賞、1997年にヨーロッパ映画賞の生涯貢献賞、2000年にベルリン国際映画祭の金熊名誉賞を贈られた。また2007年には芸術文化勲章のコマンドゥールを受けている[6]。 1949年に俳優のジャン=ルイ・リシャールと結婚し、一男ジェローム[2]をもうけるも後に離婚。1977年に映画監督のウィリアム・フリードキンと再婚したが、1979年に離婚している。 2017年7月31日午前、パリ8区フォーブール・サントノレ通りの自宅アパルトマンで倒れた状態で亡くなっているのを家政婦が発見した。その後、代理人とパリ8区長によって死去が発表された。調査結果によれば老衰。89歳没[1][2][3]。同日、エマニュエル・マクロン大統領は声明を出し、「映画を体現した」モローに敬意を表した[5]。
経歴