ジャンニ・スキッキ
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『ジャンニ・スキッキ』(Gianni Schicchi)は、ジャコモ・プッチーニの作曲した全1幕のオペラである。主人公の中年男ジャンニ・スキッキが、大富豪の遺産を巡る親戚間の騒動と、若い男女の恋を見事に解決するさまをコミカルに描いた喜劇。傾向の異なった3つの一幕物オペラを連続して同時に上演する「三部作」の最終、第3番目の演目として、1918年12月14日ニューヨークメトロポリタン歌劇場で初演された。

同作はプッチーニにとって唯一の喜劇オペラである。また、次作『トゥーランドット』が未完で終ったため、プッチーニが完成し得た最後のオペラともなった。

原語曲名: Gianni Schicchi

原作: ダンテ・アリギエーリ神曲』地獄篇、第30歌に基づく

台本: ジョヴァッキーノ・フォルツァーノ

初演: 1918年12月14日ニューヨークメトロポリタン歌劇場にて、ロベルト・モランゾーニの指揮による

目次

1 作曲の経緯

2 主な登場人物

3 演奏時間

4 楽器編成

5 あらすじ

6 著名なアリア

7 初演とその評価、各地での再演

7.1 世界初演(ニューヨーク)

7.2 イタリア初演・ローマ

7.3 日本


8 関連項目

9 脚注

10 参考文献

作曲の経緯

題材はダンテの有名な『神曲』・地獄篇第30歌から採られた。もっとも『神曲』中「ジャンニ・スキッキ」の名はほんの数行語られているに過ぎない。この物語の底本となったのは1866年にピエトロ・ファンファーニという文献学者の編により刊行された『神曲』のある版に「付録」として添えられていた、14世紀の「無名のフィレンツェ人」の著した「ジャンニ・スキッキとは何者で、何をしたか」の解説文であろうと考えられている。

台本作家フォルツァーノとプッチーニが書簡でなく直接会って相談を重ねていたらしいということもあって、2人のうちどちらがこの題材を提案したのかは判然としないが、『修道女アンジェリカ』作曲中の1917年6月頃には『スキッキ』台本をプッチーニが受領したと考えられている。プッチーニは『アンジェリカ』をいったん中断してこの『スキッキ』に没頭、骨格部分は数か月で書き上げられた。オーケストレーションを含めた脱稿日は1918年2月3日である。
主な登場人物

ジャンニ・スキッキ(
バリトン)、フィレンツェ市外に住む田舎者だが、法律に詳しく、物真似上手で機転の効く男、50歳

ラウレッタ(ソプラノ)、その娘、21歳

リヌッチョ(テノール)、大富豪ブオーゾ・ドナーティの甥、ラウレッタとは恋仲、24歳

その他、ブォーソの親戚一同、医者、公証人、証人など

演奏時間

約50分
楽器編成

ピッコロフルート2、オーボエ2、イングリッシュ・ホルンクラリネット2、バス・クラリネットファゴット2、ホルン4、トランペット3、トロンボーン3、バス・トロンボーンティンパニ(1人)、トライアングル大太鼓シンバルグロッケンシュピールチェレスタハープ弦5部の基本編成に加えて小太鼓

バンダとして、低い教会用の鐘。
あらすじ

時と場所: 1299年9月1日、フィレンツェ、大富豪ブオーゾ・ドナーティの邸宅

陽気な前奏とともに幕が開くと大富豪ブオーゾの寝室。カーテンの掛けられたベッドの中ではたった今、彼が息を引き取ったところ。親戚一同は大げさに悲しんでみせるが、皆の関心は遺言状の在りか。巷ではブオーゾが親戚には一銭もやらず全財産を修道院に寄付すると噂されており、皆はそれを恐れている。

部屋中上を下への捜索の末、若いリヌッチョが首尾よく遺言状を発見する。彼はそれを親類代表に渡す前に「この内容が皆にとって満足なものだったら、ぼくがラウレッタと結婚するの認めてくれるね」と問いかけ、皆は了承する。リヌッチョは親戚の子供に、ラウレッタとその父親ジャンニ・スキッキを呼びにやらせる。

皆は恐る恐る遺言状を開封し読み始める。悲しいことに噂の通り、全遺産は修道院行き。「坊主が肥え太るなんて」と一同は落胆する。


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