Gentilly
行政
国 フランス
地域圏 (Region)イル・ド・フランス
県 (departement)ヴァル=ド=マルヌ県
郡 (arrondissement)ライ=レ=ローズ郡
ジャンティイ (Gentilly)はフランス、イル=ド=フランス地域圏のヴァル=ド=マルヌ県のコミューン。アルクイユとル・クレムラン=ビセートルの両小郡に属している。
地理
位置≪ Petite Couronne ≫ の地図上で、赤く示されているのがジャンティイ。
パリに隣接し、プティト・クロンヌ(小さな王冠の意。パリを取り囲むオー=ド=セーヌ県、セーヌ=サン=ドニ県及びヴァル=ド=マルヌ県のこと。)内にある。 暗渠化されたビエーヴル川 Gentiliacumという村の名が伝えられたのは7世紀、聖ウアンの手による聖エロワの生涯伝の中においてである[1]。王領として存在が知られたのは6世紀であり、13世紀終わりにはジャンティイの名が表れた。中世の間、いくつもの修道院や荘園として分割・領有され、領主が交替した。 17世紀、パリ左岸地区へ水を供給するためメディシス水道が築かれた。現在もフレンヌ、ライ=レ=ローズ、カシャン、アルクイユ、ジャンティイに残っている。 19世紀、ビエーヴル川沿いに強力に産業革命が推し進められた。洗濯や皮なめしの工場が急速にできた。工業化と都市化が急激に進み、粗悪な住宅が建設され、ビエーヴル川は極端に汚染された。第二次世界大戦まで、労働階級人口の3/4が標準以下の住宅に住むという悲惨な状態であった。1860年、ティエールの城壁内のメゾン・ブランシュ地区及びグラシエール地区がパリに併合される。1897年、ル・クレムラン=ビセートルがジャンティイから分離独立して新たなコミューンとなる。 1925年、ティエールの城壁外縁部のラ・ゾーヌと呼ばれる地帯がパリに併合され、国際大学都市用地とされた。1950年代より、現代的な住宅が出現し、都市人口の過密化を招いた。
隣接自治体
東 ル・クレムラン=ビセートル
西 モンルージュ
南 アルクイユ
北 13区 (パリ)及び14区 (パリ)
地形
歴史
建物
サン=サテュルナン教会 - 13世紀。16世紀再建。
サクレ=クール寺院 (ジャンティイ)(仏語版
ジャンティイ墓地 (仏語版) - 13区およびパリ南東部を見下ろす位置にある。
サン=サテュルナン教会
ジャンティイのサクレ=クール寺院(国際大学都市)
ジャンティイ墓地
奥にはパリ13区市街が見える
ジャンティイ市庁舎
交通RER B線ジャンティイ駅