ジャンクヤード・ドッグ
1983年
プロフィール
リングネームジャンクヤード・ドッグ
スタッガー・リー
ビッグ・ダディ・リッター
リロイ・ロチェスター
本名シルヴェスター・リッター
ニックネーム黒い番犬[1]
身長188cm[1]
体重125kg - 127kg[2]
誕生日1952年12月13日[3]
死亡日 (1998-06-02) 1998年6月2日(45歳没)[3]
出身地 アメリカ合衆国
ノースカロライナ州
アンソン郡ウェイズボロ[4]
スポーツ歴アメリカンフットボール[4]
トレーナーソニー・キング[4]
デビュー1977年[2]
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ザ・ジャンクヤード・ドッグ(The Junkyard Dog、本名:Sylvester Ritter、1952年12月13日 - 1998年6月2日[3])は、アメリカ合衆国のプロレスラー。ノースカロライナ州ウェイズボロ出身のアフリカ系アメリカ人。通称「JYD」。
1980年代を全盛期にWWFやアメリカ南部エリアを中心に活躍し、陽気なキャラクターを持つベビーフェイスのブルファイターとして、主に子供の観客からの人気を集めた[5]。
来歴
初期フットボーラー時代
地元ノースカロライナのファイエットビル州立大学ではアメリカンフットボールの選手として活躍し、オール・アメリカンに2度選ばれている[2]。卒業後はNFLのグリーンベイ・パッカーズにドラフト指名されるが[2]、トレーニングキャンプで膝を故障し、プロレスラーに転向[5]。黒人レスラーのソニー・キングのトレーニングを受け、1977年にテネシーのNWAミッドアメリカ地区にて、リロイ・ロチェスター(Leroy Rochester)のリングネームでデビューする。ジプシー・ジョーとタッグを組むなど、当時はヒールのポジションで活動していた[6]。
1978年、テネシーと提携していたカナダ・カルガリーのスタンピード・レスリングへの参戦を機に、ビッグ・ダディ・リッター(Big Daddy Ritter)と改名。1979年4月にはこのリングネームで国際プロレスに初来日している[1][7]。スーパースター・ビリー・グラハム、ジプシー・ジョー、キラー・ブルックス、上田馬之助、マサ斎藤などの大物選手が同時参加していたため、タイトルへの挑戦権は与えられなかったものの、大木金太郎ばりの一本足頭突きを武器に好ファイトを展開した(来日の前年、海外武者修行でカルガリーに遠征していた阿修羅・原との試合も東京12チャンネルの『国際プロレスアワー』で放送されている[8])。
カルガリーではジェイク・ロバーツらを破り、同地区のフラッグシップ・タイトルだった北米ヘビー級王座を2度に渡って獲得[9]。ミスター・ヒト、ギル・ヘイズ、ジム・ナイドハート、レオ・バーク、さらにはジン・キニスキーなどを相手に防衛戦を行い、タッグでは後にWWFでもサーキットを共にするダイナマイト・キッドと組んで活躍した[10]。 1980年より、ルイジアナ、ミシシッピ、オクラホマ、アーカンソーの4州をサーキット・エリアとするビル・ワット主宰のMSWAに定着。ワットのアイデアでリングネームをジャンクヤード・ドッグ(JYD)と改め、ブルーカラーのイメージを強調したキャラクターに変身する。彼が鎖のつながれた首輪を付けて登場すると、観客は一斉に犬の吠え声を真似て呼応[2]。異色のベビーフェイスとして、アーニー・ラッド、レロイ・ブラウン、ファビュラス・フリーバーズ、ブル・ラモス、ボブ・ループ、テッド・デビアス、ジム・ドゥガン、カマラ、ブッチ・リード、ザ・グレート・カブキらと抗争し、同地区認定のタイトルを再三獲得、南部マットを代表する黒人スターとなった[5]。1982年 ファイトスタイルは直線的なラフ&パワーが主体で、キングコング・バンディやワンマン・ギャングなどのスーパーヘビー級の巨漢をボディスラムで投げたこともある。また、現在のハードコア・レスリングにも通じる "ゲットー・ストリート・ファイト"、双方の首をチェーンでつないで行う "ドッグ・カラー・マッチ" などの荒っぽい試合でも本領を発揮、喧嘩ファイトの強さを見せた。
JYD