ジャンカルロ・フィジケラ
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ジャンカルロ・フィジケラ
Giancarlo Fisichella
FIA WEC 富士6時間レース(2012年)
基本情報
略称表記FIS
国籍 イタリア
出身地同・ローマ
生年月日 (1973-01-14) 1973年1月14日(51歳)
F1での経歴
活動時期1996-2009
過去の所属チーム'96 ミナルディ
'97,'02-'03 ジョーダン
'98-'01 ベネトン
'04 ザウバー
'05-'07 ルノー
'08-'09 フォース・インディア
'09 フェラーリ
出走回数231
タイトル0
優勝回数3
表彰台(3位以内)回数19
通算獲得ポイント275
ポールポジション4
ファステストラップ2
初勝利2003年ブラジルGP
最終勝利2006年マレーシアGP
最終戦2009年アブダビGP
(記録は2009年終了時)
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ジャンカルロ・フィジケラ(Giancarlo Fisichella 、1973年1月14日 - )は、イタリア・ローマ出身のレーシングドライバー。愛称はフィジコ。
プロフィール
F1デビュー

レーシングカート時代に頭角を現し、1994年にイタリアF3チャンピオンを獲得。1995年には旧ドイツツーリングカー選手権(DTM)にアルファロメオで参戦。F1ベネトンチームのフラビオ・ブリアトーレとマネージャー契約した。そして1996年、当初すでにミナルディペドロ・ラミー井上隆智穂のラインナップを発表していたが、開幕直前にスポンサーの問題でシートを失った井上に代わってミナルディからF1デビューを果たした。しかし経営状態の悪化からチーム体制が安定せず、非力なマシンの上に、チームが資金持ち込みドライバーを起用したため8戦のみ出場に留まった[1]。それでもベテランのラミーを予選、決勝共に凌ぐパフォーマンスを見せ、ドライバー選考オーディションとなる実走テストを経て1997年にジョーダンに移籍した。チームメイトはラルフ・シューマッハであった。第3戦アルゼンチンGPでの同士討ち以降、シューマッハとの関係が悪化したが、第7戦カナダGPで初表彰台となる3位を獲得した。第10戦ドイツGPでは初優勝のチャンスを迎えたが、ゲルハルト・ベルガーとの接戦に破れた。しかしシーズン全体では20ポイントを獲得し、ランキング8位でシーズンを終えた。
低迷から復活へベネトンB199(1999年カナダGP)ジョーダンEJ12(2002年アメリカGP)

1998年にベネトンに移籍し、チームメイトはアレクサンダー・ヴルツであった。チームはこの年からルノーエンジンを失い、1997年型のルノーエンジンを改良したメカクロームエンジン(プレイライフのバッジネームを使用)で戦うこととなったが、第6戦モナコGP第7戦カナダGPで2位に入り、連続表彰台を獲得した。さらに第10戦オーストリアGPで初ポールポジションを獲得するなど、合計16ポイントを獲得し、ランキング9位でシーズンを終えた。

1999年は、第6戦カナダGPで2位表彰台を獲得するなど4度入賞し13ポイントを獲得、ランキング9位となった。第14戦ヨーロッパGPでは一時トップを走行するがスピンを喫してリタイアし、初優勝のチャンスを逃した。

2000年、前半戦で3度の表彰台を獲得するが、後半戦はB200のパフォーマンスが低下し1度も入賞出来なかった。結局この年は合計18ポイントを獲得し、ランキング6位となった。

2001年、チームメイトはヴルツに代わってジェンソン・バトンとなった。前年にルノーがベネトンを買収(ルノーのチーム名となるのは2002年から)したことで、B201はルノーのワークスエンジンを搭載して戦うことになった。しかし非常に斬新な111°広角バンク角を持つ新開発のルノーエンジンが深刻なパワー不足、信頼性不足を露呈したため、前半戦はミナルディやプロスト・グランプリなどどともに後方での順位争いを強いられた。しかしチームのテクニカルディレクターであるマイク・ガスコインによりマシンが改良された結果、後半戦ではベルギーGPで3位表彰台を獲得した。しかしこの年は3度の入賞で8ポイントを獲得、ランキング11位と当初期待されたほどの成績を残せなかった。ブリアトーレとの契約を解除したことで、この年一杯でベネトンのシートを失った。

2002年には古巣ジョーダンに復帰し(F1デビューした佐藤琢磨の最初のチームメイト)、4度の入賞で7ポイントを獲得した。

2003年、チームはメインスポンサーやホンダエンジンを失い、財政難とマシンの戦闘力不足に喘いでいたが健闘を見せ、第3戦ブラジルGPにて念願の初優勝を達成した。F1デビューから8年目、出走110戦目という遅咲きの勝利だった。このレースは豪雨によるクラッシュ発生により赤旗でレース終了し、またフィジケラが、それまでトップを走行していたマクラーレンキミ・ライコネンをかわしたタイミングが微妙であったなどあまりに混乱した展開であった為に、オフィシャルが周回数の判断を誤り一旦は2位と判定された。


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