ジャレッド・レト
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ジャレッド・レト
Jared Leto
2016年
本名Jared Joseph Bryant[1]
別名義Bartholomew Cubbins
生年月日 (1971-12-26) 1971年12月26日(52歳)
出生地 アメリカ合衆国
ルイジアナ州ボージャーシティ
職業俳優ミュージシャン
活動期間1992年 -
主な作品
ファイト・クラブ
アメリカン・サイコ
17歳のカルテ
レクイエム・フォー・ドリーム
パニック・ルーム
ロード・オブ・ウォー
チャプター27
ミスター・ノーバディ
ダラス・バイヤーズクラブ
スーサイド・スクワッド
ブレードランナー 2049
ジャスティス・リーグ:ザック・スナイダーカット
ハウス・オブ・グッチ
モービウス

 受賞
アカデミー賞
助演男優賞
2013年ダラス・バイヤーズクラブ
ニューヨーク映画批評家協会賞
助演男優賞
2013年『ダラス・バイヤーズクラブ』
ロサンゼルス映画批評家協会賞
助演男優賞
2013年『ダラス・バイヤーズクラブ』
放送映画批評家協会賞
助演男優賞
2013年『ダラス・バイヤーズクラブ』
MTVムービー・アワード
最優秀スクリーン内変身賞
2014年『ダラス・バイヤーズクラブ』
ゴールデングローブ賞
助演男優賞
2013年『ダラス・バイヤーズクラブ』
ゴールデンラズベリー賞
最低主演男優賞
2022年モービウス
最低助演男優賞
2021年ハウス・オブ・グッチ
全米映画俳優組合賞
助演男優賞
2013年『ダラス・バイヤーズクラブ』
その他の賞
トロント国際映画祭
ドキュメンタリー部門 観客賞
2012年アーティファクト

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ジャレッド・レト(Jared Leto, 1971年12月26日 - )は、アメリカ合衆国ルイジアナ州ボージャーシティ出身の俳優ミュージシャン。兄と組んだロックバンド「サーティー・セカンズ・トゥー・マーズ」のボーカルも務める。

ジャレッド・レトーとも表記される。本名はジャレッド・ジョセフ・ブライアント(Jared Joseph Bryant)。1990年代に俳優デビューし、2013年公開映画『ダラス・バイヤーズクラブ』でアカデミー賞など主要な映画賞で助演男優賞を獲得。
略歴

ルイジアナ州ボージャーシティ生まれだが、子供の頃は母親や2歳上の兄とともにワイオミング、コロラド、ヴァージニア、ハイチなどを転々として育つ[2]ケージャン系米国人の母親は十代で二人の息子を生んでまもなく離婚、シングルマザーとなり高校も中退、別れた父親は別の女性と結婚したがその後自殺した[3]。ジャレッドと兄のシャノンは、母方の祖父が空軍兵士だったため引っ越しの多い幼少期を送った[3]。母親はヒッピーとなり、テレビもなく食糧配給券で食いつなぐ極貧生活をしていたが、1979年にヴァージニア州の眼科医と再婚、生活も安定し妹と弟も生まれたが1981年に再び離婚した[3][4]。義父・妹弟とは離れ離れとなったが、ジャレッドと兄はそのまま義父の姓レトを名乗っている[4][3]コロラド州で3年、ハイチの首都ポルトープランスで2年近く暮らしたのち、ヴァージニア州の田舎町オークトンの高校へ通い、母親の勧めでギターを学び始める[4]。母親はハイチで医療慈善団体で働いたのち、帰国後カメラマンとなり、2007年にアクセサリー会社を起業した[4][3]。兄のシャノンは高校中退、ドラッグ中毒など荒れた青春時代を送ったが、1998年にバンドデビューし、俳優業にも携わった[4]

ジャレッドは高校卒業後、絵画を学ぶためにフィラデルフィアのUniversity of the Artsに入学するが、途中で俳優を志すようになりニューヨークのSchool of Visual Artsに移った[5]

1992年にロサンゼルスに移り、最初はミュージシャンを志すが、2年後にはテレビに出演するようになる。『アンジェラ 15歳の日々』で主人公が恋するイケメンの不良役で人気となったが、その後『シン・レッド・ライン』『ファイト・クラブ』といった映画に出演し、ダーレン・アロノフスキー監督の『レクイエム・フォー・ドリーム』では麻薬中毒に陥る主人公を演じて高い評価を得た。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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