ジャルジャル
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ジャルジャル
法務省令和3年第71回社会を明るくする運動強調月間・キックオフイベント(2021年)左:後藤、右:福徳
メンバー後藤淳平
福徳秀介
結成年2003年[注 1]
事務所吉本興業
活動時期2003年4月 -
出身NSC大阪校25期
出会い関西大学第一高等学校
芸種コント漫才
ネタ作成者両者(共同)
過去の代表番組.mw-parser-output .plainlist--only-child>ol,.mw-parser-output .plainlist--only-child>ul{line-height:inherit;list-style:none none;margin:0;padding-left:0}.mw-parser-output .plainlist--only-child>ol li,.mw-parser-output .plainlist--only-child>ul li{margin-bottom:0}

ジャルッと!爆ハリ!

爆笑レッドシアター

めちゃ2イケてるッ!

ほか

同期

銀シャリ

プラス・マイナス

秋山賢太(アキナ

クロスバー直撃

カズマ・スパーキン

公式サイト公式プロフィール
受賞歴


2007年 第22回NHK新人演芸大賞演芸部門 大賞

2008年 第2回笑いの超新星 最優秀新人賞

2008年 オールザッツ漫才 優勝

2013年 第34回ABCお笑いグランプリ 優勝

2020年 キングオブコント 優勝

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ジャルジャルJARUJARU
YouTube
チャンネル

JARUJARU TOWER

JARUJARU OVERSEAS

JARUJARU ISLAND

活動期間

TOWER 2014年 -

OVERSEAS 2020年 -

ISLAND 2020年 -

ジャンルコント
登録者数

TOWER 146万人[3]

OVERSEAS 1.72万人

ISLAND 79.9万人[4]

総再生回数

TOWER 10億回

OVERSEAS 59万回

ISLAND3.5億回

YouTube Creator Awards

登録者100,000人

TOWER 2018年

ISLAND 2020年

登録者1,000,000人TOWER 2020年

チャンネル登録者数・総再生回数は
000000002023-02-18-00002023年2月18日時点。
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ジャルジャル(JARUJARU)は、後藤淳平福徳秀介からなる日本お笑いコンビ2003年にコンビ結成。NSC大阪校25期生。吉本興業東京本社所属。M-1グランプリ2010・2015・2017・2018ファイナリスト。キングオブコント2020王者。
メンバー

後藤 淳平(ごとう じゅんぺい 
1984年昭和59年)3月20日 - )(40歳)ボケツッコミ
大阪府吹田市出身。身長177cm。体重65kg。視力1.5。血液型AB型。立ち位置は向かって左。詳細は「後藤淳平」を参照三か月に一度抜け毛に悩まされる。

福徳 秀介(ふくとく しゅうすけ 1983年昭和58年)10月5日 - )(40歳)ツッコミ・ボケ
兵庫県芦屋市出身。身長175cm。体重65kg。視力2.0。血液型O型。立ち位置は向かって右。幼少期の特技は逆上がり。詳細は「福徳秀介」を参照
来歴
出会い

1999年4月。出会いは関西大学第一高等学校ラグビー部。元サッカー部の福徳は日焼けしており、後藤に初めて会った時、真っ白の練習着の胸部分に書かれた自分の名前を指差し、「俺、福徳、よろしく!」と握手を求めた[5]。後藤のそんな福徳に対する第一印象は「吉田栄作みたいな高校生」だった[5]。部員が多かったこともあり当初はほとんど話さなかったが、一年生の時の夏合宿で福徳が練習中に鎖骨を骨折し、一番暇そうにしていた後藤が病院に付き添うことになり、これを機に急速に距離が縮まっていった[6] 。二人ともクラスでは目立たないタイプで[7]、当時から笑いの感性が同じだった[5]。高校3年間でクラスこそ同じにはならなかったが[7]、休み時間になれば保健室へ直行して2人で喋ったり、保健室の先生を笑わせたりすることが楽しみとなっていた[1][8]。また、授業中にメールを送り合って笑い合ったり、「紙に一言だけ書いて11時になったら見る」という遊びをしたりして、やがて漫才の台本を作るようになった[9]。初めて作ったネタは漫才であり、カセットテープに吹き込んで2人で15分程度喋りそれを聴いて大笑いしたり、校庭の隅でネタ合わせしたりしていたという[10]。高校2年生の終わり頃からお互い芸人を目指そうという話をしていた[5]

共に部活で忙しくテレビをほとんど見ておらず、バラエティ番組が自由で楽しい時代を知らない[11]。お笑いで唯一ハマったのがふかわりょうの一言ネタ本で(後藤は幼少から嘉門達夫が好きで家族ぐるみで触れており、共にお笑い番組は『吉本新喜劇』は好きだったが他の当時流行っていた番組含めそこまでハマらず内容の意味も理解していなかった[12])、ダウンタウン台頭以降のお笑い芸人の中では珍しくダウンタウンの影響を受けていないコンビであり、『ダウンタウンのごっつええ感じ』(フジテレビ)についても「小学生の時に見ていたが当時は意味が分からずハマらなかった。そのおかげで二人とも影響されずオリジナリティを追求出来た。」と福徳は述懐した[13]
コンビ結成

2002年4月、高校卒業後、大学進学と共にNSC大阪校(25期)へ入学。25期は前年の第一回『M-1グランプリ』の影響からか入学者が700人(銀シャリによると900人)くらいおり[14]、入学式の会場のなんばグランド花月が満員だった。福徳は大学に進学せずにNSCに入ろうとしたが、母親に止められた[15]。NSCに入るかどうか迷っていた後藤に「やろう」と誘ったのは福徳だが、集団面接を前にして福徳が不安になり「やめようか」と言った時に「やろう言うたやんけ」と後藤が止めた[5][16]。当時、講師を務めていた本多正識は、ジャルジャルの二人に“上品な子たち”という印象を受け、「言葉遣い、表情、所作、小道具の扱い方等々、端々に上品さがうかがえ、NSCにはあまりいないタイプ」だったという[17][18]。また、ネタ見せの授業には必ず出席する優等生だった[16]

コンビ名の由来は、後藤の家で電気を消して寝転がりながらコンビ名を考えている時に、響き重視で“ジャルジャル”と“ジョロジョロ”を思いつき、最終的に文学部の福徳が受けていた大学の語学の授業中に“ジャルジャル”に決定した[19]。他の候補には、「ナプラコッテ」「ノーコン太郎」があった。略称がJAL(ジャル)である日本航空グループと関係はないが、営業などの掴みとして、「2人とも親がパイロットやったからですよ?嘘ですけど」や「蛇口から水が出ていた」といった作り話を話していた時期もある[20]

NSC時代にM-1グランプリに挑むも一回戦で敗退。授業でネタ見せがあるのに、落ちたネタしかストックがなく、高校時代の保健室で遊んでいた雰囲気で適当に遊び半分のコントみたいなものをやっていった結果、ネタを漫才からコントへシフトしていった[10]。当初漫才のネタは後藤が作っており捻り出すように作っていたが、2人でコントのネタを作るようになると息をするように作れるようになった[21]。NSC卒業公演では、プラス・マイナスとジャルジャルが司会を務めるなど当時は彼らが25期の2強だった[9][14]。当時から型にハマらないスタイルでダウンタウンの再来と称され[22]、2020年10月21日放送の『水曜日のダウンタウン』(TBSテレビ)では、銀シャリから同期一の天才と称された[23]
結成後

NSC卒業後は若手が出る劇場への出演を賭けた月に1度行われるオーディションにチャレンジする日々だった。予選で(同期は700人の中)勝ち残った20数組で決勝戦を行ない、上位2組が劇場のレギュラーメンバーと入れ替えるというものでジャルジャルは一回しか行けなかった[5]。大学4回生の時に劇場のシステムが変わり、予選で勝ち残った20数組が吉本の社員の前でネタ見せを行ない、劇場のメンバーを再編する形になり、ようやくジャルジャルはレギュラーメンバーとなった[5]

NSCや舞台を優先するあまり、二人は大学に居場所はなく、大学卒業の単位がギリギリだった[5]。二人はお笑いを天職だと考えていたため就職活動もしなかった[19]

2005年には若手を発掘する番組『ゲンセキ』(TBSテレビ)でテレビ初出演[21]。また、BGO上方笑演芸大賞新人賞を受賞。2007年には、若手の登竜門であるNHK新人演芸大賞の演芸部門で大賞を受賞し、”一般ウケするんやな”と周りの見る目が変わったという[16]

爆笑レッドシアター』、『めちゃ×2イケてるっ!』(共にフジテレビ)などの全国ネットの番組のレギュラーになる。エルザ調べの女子高生が選ぶ「次にブレイクすると思うお笑い芸人は?」のアンケートで一位に選ばれるなど[24]、順風満帆に見えるも、シュールなネタやコント衣装から連想される「尖っている」イメージに苦しめられ、「ジャルジャルってこういうの(体を張る企画やヨゴレネタ)やらないでしょ」と言われ続けた[25]


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