ジャパニーズ・メタル
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ジャパニーズ・メタルは、1980年代に流行した音楽のジャンルで、日本人によるヘヴィメタルを指す。ジャパメタと略して呼ばれることもある。

ほぼ同様の意味で用いられる言葉として、和製ヘヴィメタルがある。

この項目では日本のヘヴィメタルシーンの歴史について解説する。目次

1 ジャパニーズメタルの歴史

1.1 1960年代

1.2 1970年代

1.3 1980年代前期

1.4 1980年代中期 -第2世代の登場・海外進出-

1.5 1980年代後期

1.6 1980年代後期 -インディーズ・メタルブーム-

1.7 1990年代 -冬の時代-

1.8 1990年代後半

1.9 2000年代 - ベテランバンドの再結成と、オズフェスト世代の登場 -

1.10 2000年代中期?後期 -若手の伸び悩み、V系メタル-

1.11 2010年代前半 ガールズメタルバンドの増加?海外再進出


2 ジャパニーズ・メタルアーティスト一覧

3 参考文献及び関連書籍

4 関連項目

5 脚注

5.1 注釈

5.2 出典


ジャパニーズメタルの歴史
1960年代

ザ・ゴールデン・カップスザ・モップス内田裕也とザ・フラワーズ、パワーハウスなど一部の洋楽志向のグループ・サウンズ・バンドがジミ・ヘンドリックスクリームアニマルズ等の曲をカヴァーしていた。グループ・サウンズのブームも終わりかけた頃(1960年代末)、日本ではニューロックを手掛けるバンドが急増した[要出典]。
1970年代

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内田裕也のプロデュースによってフラワー・トラベリン・バンドが1970年に結成。ブラック・サバスキング・クリムゾン等のコピー曲が大半だった1stアルバム『ANYWHERE』(1970年)ののち、バンドは米アトランティック・レーベルと契約を結び、オリエンタリズム溢れるハード・ロックの2nd『SATORI』(1971年)等を発表、日本のハードロック/ヘヴィメタル系バンドで初めて海外でもライブ・ツアーを行っている[1]ミッキーカーチス&サムライは1960年代後期にヨーロッパで活動[2]を行なっているが、このバンドの音楽性はサイケデリック・ロックであって、ハード・ロックではない。しかしながら、海外レーベルの契約とともに活動拠点をカナダに移したことによって日本国内での活動の空白期を作ったことや、そもそもが外来語である英語の歌詞にこだわった彼らに対して、当時の日本が演歌歌謡曲フォークソングなど日本語歌詞で情緒に訴えかける音楽が全盛だったことなど、複数の要素が絡み合い、1973年の帰国後間もなくして解散してしまう。 フラワー・トラベリン・バンド(2008年、再結成後のニューヨーク公演より)

1970年ザ・ハプニングス・フォークニ河内内田裕也率いるザ・フラワーズからフラワー・トラベリン・バンドに移行する前の石間秀樹ジョー山中らは『クニ河内とかれのともだち』名義で、すべて日本語で構成されたアルバム「切狂言」を録音している(発売は、フラワートラベリンバンドのファーストアルバムの発売より後)。


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