ジャネール・モネイ
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ジャネール・モネイ
Janelle Monae
2016年撮影
基本情報
出生名ジャネール・モネイ・ロビンソン
Janelle Monae Robinson
生誕 (1985-12-01) 1985年12月1日(38歳)
出身地 アメリカ合衆国カンザス州カンザスシティ
学歴American Musical and Dramatic Academy
ジャンルソウル
R&B
ファンク
ポップ
職業歌手
作曲家
音楽プロデューサー
俳優
モデル
担当楽器ヴォーカル
ギター
活動期間2003年 -
レーベルバッド・ボーイ・レコード
アトランティック・レコード
エピック・レコード
ワンダーランド・レコード
共同作業者プリンス
ソランジュ
エスペランサ・スポルディング
ファン
ブルーノ・マーズ
公式サイト ⇒jmonae.com

ジャネール・モネイ(Janelle Monae, 1985年12月1日 - )は、アメリカ合衆国歌手作曲家音楽プロデューサー俳優モデル。デビュー作から一貫してシンディーというオルターエゴに基づくコンセプトアルバムを発表して高い評価を受けるとともに、俳優としても活動している。
前半生

モネイはカンザス州 カンザス・シティでビルの清掃をする母親と、トラックドライバーの父親の間に生まれた[1]。小さいころから歌手、パフォーマーになることを夢見ていたという[2]。最初期の音楽的な影響として『オズの魔法使い』の主人公ドロシー・ゲイルを挙げている。

成長してからは、演劇を学ぶためにニューヨーク・シティに移住し、American Musical and Dramatic Academyに通う。

2001年にジョージア州 アトランタに移住。そこでモネイはアウトキャストビッグ・ボーイと出会う。また、このころに志を同じくする若いアーティスト仲間と共にワンダーランド・アーツ・ソサイエティー(Wondaland Arts Society)を設立。2003年には自身にとっての最初のコンパクト盤となる『The Audition』を発表。商業的には成功しなかったが(全部で400枚しかプレスされなかったという)、後年に自身のアルバムで現れる「メトロポリス」というアイディアの原型が既に現れていた。

モネイはアウトキャストの2006年のアルバム『Idlewild』に収録された「Call the Law」と「In Your Dreams」に参加。同年、ビッグ・ボーイの友人であるショーン・コムズにモネイを紹介。当時コムズはモネイの事を知らなかったが、ホームページを訪れてモネイの楽曲や映像を確認して気に入ったコムズは、自身の主催するバッド・ボーイ・レコードとの契約をオファーし、モネイはこれにサインした[3]
活動歴
2007?11: デビューとアルバム『The ArchAndroid』オースティン・ミュージック・ホール 2009年

2007年、モネイは自身にとって最初のソロアルバム『Metropolis』を発表。このアルバムは自身のネットサイトとmp3のダウンロードサイトでの販売という形式であった。2008年には、同作を『Metropolis: The Chase Suite (Special Edition)』と改題するとともに、新たに2曲を追加収録した。このアルバムは高く評価され、収録されシングルカットもされた"Many Moons"が第51回グラミー賞の Best Urban/Alternative Performance 部門にノミネートされた[4]。2009年にはグウェン・ステファニーらによるノー・ダウトのオープニングアクトとして夏のツアーに同行[5]

モネイの発表したシングル「Open Happiness」がアメリカン・アイドルの2009年最終シーズンにおいて取り上げられた[6]

2010年5月18日にアルバム『The ArchAndroid』を発表。この作品では前作から続く4幕構成の内で2幕3幕に至る。アルバムのヴィジュアルは映画『メトロポリス』を連想させるものである。アルバムは好意的に受け止められ、メタクリティックによると、28の音楽批評媒体から、平均で100点満点中91点という極めて高い評価を受けた[7]。この作品でモネイは、米国作曲家作詞家出版者協会によるヴァンガード・アワードのリズム&ブルース部門を受賞[8]。 続く2011年の第53回グラミー賞において、最優秀コンテンポラリーR&Bアルバム賞に、また、本作収録の楽曲"Tightrope(英語版)"が最優秀アーバン・オルタナティブパフォーマンス賞にそれぞれノミネートされた。この年のグラミー賞ではブルーノ・マーズB.o.Bらと共にパフォーマンスで出演し、モネイは自身のアルバムからCold Warをパフォーマンスした。[9]
2012?14: 『The Electric Lady』 とその他の活動

2012年5月、ファンの楽曲"We Are Young"ゲスト参加する。この曲はヒットしビルボードチャートにおいて全米1位を獲得。2012年、モネイはいくつかのミュージック・フェスティバルに出演した。ノース・シー・ジャズ・フェスティバル、モントルー・ジャズ・フェスティバル、そしてトロント・ジャズ・フェスティバルでは新曲を2曲披露。この2曲は後にElectric LadyとDorothy Dandridge Eyesとして後のアルバムに収録、発表された[10][11]2013年9月にアルバム『The Electric Lady』をリリース。ビルボードチャートにおいて、全米最高5位を記録。前作に続いて、批評家筋からは好意的な評価を受け、メタクリティックによると、37の媒体から平均82点を獲得した[12]。本作にはゲストとしてプリンスソランジュエスペランサ・スポルディングらが参加した。最初のシングルはエリカ・バドゥとの楽曲"Q.U.E.E.N."が選ばれ、サウンドクラウドを皮切りにiTunes Storeなどでも配信が開始された[13]

2012年の8月には、人気コスメブランド「Covergirl」の広告塔に選ばれた[14][15]

2013年には、iTunesフェスティバルではChicナイル・ロジャースと、グローバル・シチズン・フェスティバルではスティービー・ワンダーと共演した[16]。また、テレビ番組『サタデー・ナイト・ライブ』にも出演した(2013年10月26日放送分)[17]Way Out West festival, Sweden 2014


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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