カタルーニャ州政府 (カタルーニャ語:Generalitat de Catalunya 発音: [??n???li?tat d? k?t??lu??])は、スペイン、カタルーニャ自治州の自治政府である[1]。議会(「州議会」とも。Parlament de Catalunya ; ca、es)、州政府首相(President de la Generalitat de Catalunya ; ca、es)、内閣(Govern de Catalunya ; ca、es)によって構成される。 「ジャナラリター」は、バルセロナ伯ジャウマ1世(アラゴン王としてはハイメ1世)時代に、王が当時の社会的階層の代表を召集して面会するものであった、コルツ(Corts Catalanes ; ca
歴史
常設代表機関の誕生
1358年から1359年にかけ、バルセロナ、ビラフランカ・ダル・パナデス、サルベラでコルツが開催された。このコルツで、税問題についての執行権を持つ12人の議員を選出した。同様に、ジャナラリター初代代表に選出されたジローナ司教バランゲーの権威の下で、幾人かの監督者たちが行政部門を管理していた。
マルティー1世が後継者を指名しないまま急逝したことで生じた空位時代、ジャナラリターが政治的な責任を負った。議員選出のシステムは一定の議論の対象であった。1455年のコルツでは、縁故者登用による寡頭政治を避けるため、投票を採用した。任期を満了する議員が、無作為に選ばれた12人の候補のうちから選ぶようにしたのである。中世後期のジャナラリターは、君主に次いでカタルーニャの主たる統治機関であった。 ジャナラリターに依存していたカタルーニャの機関は、ピレネー条約の1年後にスペインからフランスへ宗主権が委譲されたことで、北カタルーニャ(現在のピレネー=オリアンタル県)で廃止された。 その後、18世紀初頭の新国家基本法(en スペイン第二共和政時代の1932年、カタルーニャの自治政府としてその近代政治性と代表的機能を与えられ、スペイン領カタルーニャにおいてカタルーニャ州政府が復活した。 1934年のスペイン総選挙で右翼同盟が勝利すると、カタルーニャ州政府の左翼指導者たちがスペイン当局に対し反抗した。一時的に1934年から1936年までカタルーニャ州政府は停止させられた。1936年2月のスペイン総選挙でスペイン人民戦線が勝利するまで、停止は解除されなかった。 同年7月、人民戦線に反対するフランシスコ・フランコが右派を結集して反乱軍を組織、スペイン人民戦線による政府軍とフランコ率いるナショナリスト派が激突するスペイン内戦が始まった。戦況はフランコ側が優位になったため、9月4日、カタルーニャ州政府は17歳以上45歳以下の男子に動員令を出してナショナリスト派への抵抗を進めた[2]。 1939年、共和国側の敗退によってスペイン内戦が終結し、フランコはカタルーニャ州政府の廃止を宣した。カタルーニャ州政府とその代表は国外へ亡命し、その状態は1975年のフランコの死と1976年の自由選挙施行まで続いた。 1939年から1977年まで、カタルーニャ州政府とその代表は国外へ亡命したままであった。フランコ没後、マドリードの政府との合意によって、当時の亡命カタルーニャ州政府代表ジュゼップ・タラデーリャス(es 1977年9月、カタルーニャ州政府は再びバルセロナの州政府庁舎に入った。この後、1978年スペイン憲法によって自治権がカタルーニャ州政府に与えられた。カタルーニャにおける国民投票での承認とスペイン国会での可決を得て、1979年にカタルーニャ自治憲章(ca 2017年10月にカタルーニャ共和国が一方的独立宣言を行ったことを受けて、同年10月28日よりスペイン中央政府はカタルーニャ自治州の自治権を停止し、中央政府副首相を州首相職務代行者に据えるなど直轄統治を開始した。これによりカタルーニャ州政府はカタルーニャ州における統治能力を剥奪された。12月21日には中央政府主導のもと州議会選挙が行われ、独立派が過半数の議席を獲得した。その後、2018年1月30日には州政府首相の信任投票が憲法裁判所により差し止められ、延期された。同年5月14日にキム・トーラ州議会議員が州首相に選出され、空白状態は解消された[3]。 現在のカタルーニャ州政府代表は第131代カタルーニャ自治州首相のキム・トーラである。 2016年より2017年まで努めた第130代カタルーニャ自治州首相カルラス・プッチダモンは、2017年10月のカタルーニャ独立宣言に際して、中央政府により州政府首相職を更迭され、叛逆罪および民衆扇動罪などの容疑で国内指名手配を受けている。2017年カタルーニャ州議会選挙でプッチダモンが主導する独立派連合が勝利したことで州議会与党党首の地位にあるが、先述の理由により2018年1月末において州政に於ける政治的実権を持たない。 2010年から2016年までの代表者は2010年11月カタルーニャ州議会選挙で勝利した第129代カタルーニャ自治州首相アルトゥール・マスである。彼はカタルーニャ・ナショナリズム政党カタルーニャ民主集中(CDC)とカタルーニャ民主連合(UDC)の政党連合である集中と統一(略称CiU)の代表であり、2010年12月27日に就任した[4].[5]。前任は、カタルーニャ社会主義者党
最初の廃止
最初の復活
2度目の廃止
2度目の復活
自治権の一時停止
現在の地位キム・トーラ(2018年-2020年に於けるカタルーニャ州政府首班)カルラス・プッチダモン(2016-2017年に於けるカタルーニャ州政府首班)アルトゥール・マス(2010-2016年に於けるカタルーニャ州政府首班)
2006年6月18日、改正カタルーニャ自治州法が承認され、8月から効力を発生した。改正法の議事開始において、自治州法改正は政権側である左翼政党及び野党第一党(CiU)からも支持された。これはスペイン政府レベルからの地方分権を要請するために足並みをそろえたものであった。自治州の会計と財源を増強し、カタルーニャの民族的アイデンティティーの認識を明らかにする目的もあった。しかし、自治州法改正の最終段階ではその細部について厳しく争われ、カタルーニャの政治シナリオにおける主な論争となっているものが主題となった。 カタルーニャ州政府の執行部門は、代表、議会、内閣から構成される。一部の人々は、誤ってこの名前が執行部門のみならず内閣と意味が同じだとして用いる。しかし、ジャナラリター・デ・カタルーニャとは、カタルーニャ自治州の自治機構全体を指すのである。 1979年以降、カタルーニャは徐々に自治の割合を高めてきた。ナバーラ自治州とバスク自治州に次いで、カタルーニャはスペイン国内で最大級の自治政府を持っている。カタルーニャ州政府は、文化、環境、電気通信、輸送、商業、公安、自治政府といった様々な事項で、高度で広範囲な管轄権を保持している ⇒[1]。教育、健康、司法に関係する多くの面では、州はスペイン中央政府と管轄を分担している ⇒[2]。 カタルーニャの自治の度合いを示す例の一つとして、独自の警察組織モスズ・ダスクァドラ[注釈 1](Mossos d'Esquadra、"La Policia de la Generalitat de Catalunya"とも。 : ca
政府の自治システム