ジャック・ヴァンス
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ジャック・ヴァンス
Jack Vance
ジャック・ヴァンス(1980年代初頭)
誕生John Holbrook Vance
(1916-08-28) 1916年8月28日
カリフォルニア州サンフランシスコ
死没 (2013-05-26) 2013年5月26日(96歳没)
カリフォルニア州オークランド
職業小説家
国籍 アメリカ合衆国
ジャンルファンタジーSF
影響を与えたもの

フランク・ハーバートマイケル・ムアコックガードナー・ドゾワロジャー・ゼラズニイジーン・ウルフテリー・プラチェットニール・ゲイマンジョージ・R・R・マーティンポール・アンダースンロビン・ホブダン・シモンズロバート・シルヴァーバーグディーン・R・クーンツ

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ジャック・ヴァンス(Jack Vance、1916年8月28日 - 2013年5月26日)は、アメリカ合衆国SF作家ファンタジー作家、推理作家。

本名は、ジョン・ホルブルック・ヴァンス (John Holbrook Vance)。サンフランシスコ生まれ[1]カリフォルニア大学卒業し、船員など職を転々とした後、1945年に「スリリング・ワンダー」誌からデビュー[1]。当初、「ジャック・ヴァンス」は、夫妻作家であるヘンリー・カットナーC・L・ムーアが使用している多数の共作ペンネームの一つと誤解されていた[2]

異星文明をリアルに、魅力的に描き出す手腕には定評がある[1]。本名で11作、エラリー・クイーン名義で3作の推理小説も書いている。他にも Alan Wade、Peter Held、John van See、Jay Kavanse といったペンネームを使ったことがある[3]

主な受賞歴は次の通り。

ヒューゴー賞: 「竜を駆る種族」(1963)、「最後の城」(1967)、This is Me, Jack Vance! (Or, More Properly, This is "I") (2010、関連書籍部門)

ネビュラ賞: 「最後の城」(1966)

世界幻想文学大賞: 生涯功労賞(1984)、長編賞Lyonesse: Madouc(1990)

エドガー賞 処女長編賞: 『檻の中の人間』(1961)

SFWAグランド・マスター賞(1997)

1992年、オーランドでのワールドコンに主賓として招待された。2009年、ニューヨーク・タイムズ・マガジンで「アメリカ文学界でも特筆すべき作家でありながら、過小評価されてきた」と評された[4]
経歴

ヴァンスの祖父はミシガン州からカリフォルニア州ゴールドラッシュの10年ほど前に移住し、サンフランシスコの娘と結婚したと見られている。両親は早くに離婚し、幼いヴァンスは母と兄弟と共に母方の祖父の農場に身を寄せた。この農場はサクラメント川三角州地帯にあった。幼少期のこの環境により、アウトドアと読書を好む傾向が形成される。祖父の死によって一家の暮らし向きは苦しくなり、ヴァンスは短大を中退し働いて家計を助けなければならなくなった。ベルボーイ、缶詰工場の工員、金の浚渫作業員などの職を転々とした後[5]カリフォルニア大学バークレー校に入学。そこで6年間、鉱山工学、物理学、新聞学、英文学などを学んだ。英文学のクラスでヴァンスは初のSF短編を書いた。教授はこれを読み「またSFか」と否定的な反応を示した。ヴァンスの受けた最初の否定的批評だった[6]。一時期、時給56セントでハワイ真珠湾にある海軍造船所で電気技師として働いていた。彼がそこを去ったのは真珠湾攻撃の約1カ月前のことだった[5]

ヴァンスが大学を卒業したのは1942年のことである。目が悪かったため兵役は免除された。リッチモンドカイザー造船所で作業員として働くようになり、日本語を学ぶために陸軍情報部の試験を受けたが選ばれなかった。1943年、視力検査表を暗記することで船員として採用され、商船の有能の船員になった[6]。船の操縦は後年のヴァンスの趣味となった。船旅は彼の作品にもよく出てくるシチュエーションである。ヴァンスが専業作家となるのは1970年代のことで、それまでは船員、整備工、測量士、陶芸家、大工などの職を経験している。バンジョーカズーを演奏するヴァンス(1979年、サンフランシスコ)

若いころからジャズを愛好している。趣味としてコルネットウクレレカズーハーモニカを演奏する。彼の最初に出版された文章はジャズのレビュー記事で、大学の新聞 The Daily Californian に掲載された。音楽も彼の作品によく出てくる要素の1つである。

1946年、同じ大学に通っていた Norma Genevieve Ingold(2008年没)と結婚。オークランドに家を建て、増改築を繰り返しながら今も住んでいる。旅行好きで、世界一周航海を一度行ったことがあり、アイルランド島タヒチ島南アフリカ共和国、イタリアのポジターノカシミールの湖畔のハウスボートなどでそれぞれ数カ月を過ごすことが多い。

ヴァンスがプロ作家を目指し始めたのは1940年代後半で、当時 San Francisco Renaissance と呼ばれる実験的文芸運動が起きていた。20世紀フォックスが最初にヴァンスの作品を買い、テレビドラマ『キャプテン・ビデオ』の脚本家としてヴァンスを雇った。この収入でヴァンスはヨーロッパを1年間旅している[5]

SF作家のフランク・ハーバートポール・アンダースンはヴァンスの友人だった。3人でハウスボートを作り、サクラメント川の河口から出航させたこともある。一時期、メキシコのチャパラ湖畔でハーバートと同居していたこともある。(なお、『魔王子シリーズ』には「ハーブ・フランクバート」という人物の著作が紹介されている)

1980年代からほとんど盲目となっているが、ヴァンスはパソコンとソフトウェアの力を借りて執筆を続けていた。最新作は Lurulu(2004) で、ヴァンス自身これが最後の本だと言っていた[7]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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