Jack Lemmon
ジャック・レモン
本名ジョン・ユーラー・レモン3世
John Uhler Lemmon III
生年月日 (1925-02-08) 1925年2月8日
没年月日 (2001-06-27) 2001年6月27日(76歳没)
出生地マサチューセッツ州 ボストン
死没地カリフォルニア州 ロサンゼルス
国籍 アメリカ合衆国
職業俳優
活動期間1949 - 2000
配偶者Cynthia Stone (1950-1956)
Felicia Farr (1962-2001)
主な作品
出演
『ミスタア・ロバーツ』
『マイ・シスター・アイリーン』
『お熱いのがお好き』
『アパートの鍵貸します』
『酒とバラの日々』
『あなただけ今晩は』
『グレートレース』
『恋人よ帰れ!わが胸に』
『おかしな二人』シリーズ
『おかしな夫婦』
『お熱い夜をあなたに』
『セイブ・ザ・タイガー』
『フロント・ページ』
『エアポート'77/バミューダからの脱出』
『チャイナ・シンドローム』
『マイ・ハート マイ・ラブ』
『ミッシング』
『マカロニ』
『晩秋』
『JFK』
『摩天楼を夢みて』
『ショート・カッツ』
『ラブリー・オールドメン』
『12人の怒れる男 評決の行方』
『モリー先生との火曜日』監督
『コッチおじさん』
受賞
アカデミー賞
主演男優賞
1973年『セイブ・ザ・タイガー』
助演男優賞
1955年『ミスタア・ロバーツ』
カンヌ国際映画祭
男優賞
1979年『チャイナ・シンドローム』
1982年『ミッシング』
ヴェネツィア国際映画祭
男優賞
1992年『摩天楼を夢みて』
アンサンブル演技賞
1993年『ショート・カッツ』
ベルリン国際映画祭
銀熊賞(男優賞)
1981年『マイ・ハート マイ・ラブ』
名誉金熊賞
1996年
AFI賞
生涯功労賞
1988年
英国アカデミー賞
外国男優賞
1959年『お熱いのがお好き』
1960年『アパートの鍵貸します』
主演男優賞
1979年『チャイナ・シンドローム』
エミー賞
男優賞(ミニシリーズ/テレビ映画部門)
2000年『モリー先生との火曜日』
ゴールデングローブ賞
男優賞(ミュージカル・コメディ部門)
1959年『お熱いのがお好き』
1960年『アパートの鍵貸します』
1972年『お熱い夜をあなたに』
特別賞
1993年『ショート・カッツ』
男優賞(ミニシリーズ・テレビ映画部門)
1999年『風の行方』
セシル・B・デミル賞
1990年
ジニー賞
最優秀外国語男優賞
1980年『マイ・ハート マイ・ラブ』
全米映画俳優組合賞
男優賞 (テレビ映画・ミニシリーズ)
1999年『モリー先生との火曜日』
生涯功労賞
1989年
その他の賞
備考
世界三大映画祭のすべての男優賞を受賞した俳優。
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ジャック・レモン(Jack Lemmon, 1925年2月8日 - 2001年6月27日)は、アメリカ合衆国マサチューセッツ州ボストン出身の俳優。本名はジョン・ユーラー・レモン三世(John Uhler Lemmon III)。
1973年公開の『セイブ・ザ・タイガー』でアカデミー主演男優賞を受賞、また世界三大映画祭のすべての男優賞を受賞した俳優でもある。戦後アメリカ映画界最高の喜劇俳優と言われた。 父は元ミュージカル俳優のドーナッツ会社経営者、母は元歌手。8ヶ月の早産でニュートン・ウェルズリー病院のエレベーターの中で生まれ[1]、黄疸のために立ち会った看護婦から「黄色いレモン」みたいと言われたという。 フィリップス・アカデミーを経てハーヴァード大学で化学と薬学を学び[2]、ドラマチック・クラブに所属し演劇活動を開始[3]。戦時中はアメリカ海軍に少尉として所属していたこともあった[3]。除隊後に本格的に俳優を志し、父から300ドルの援助を受けてニューヨークに行く。バーでのピアノ演奏などで生計を立てながら、ラジオドラマからそのキャリアをスタートさせた。その後、テレビに出演するようになり、この頃知り合った俳優仲間のシンシア・ストーンと結婚する。1954年に息子クリスが生まれたが2年後の1956年には離婚している。 1950年代前半には500本のラジオやテレビのドラマに出演し、1953年にブロードウェイ入り、この年にジュディ・ホリディの相手役をつとめた舞台が評判を呼び、コロムビアと契約する。映画デビューの際に撮影所長のハリー・コーンからレモンの名前が "Lemon"(スラングで不良品の意味がある)に通じるので、"Lennon" に改名させようとしたが、レーニンに響きが似てるので拒否し、本名で通したという。 1954年に映画デビューを果たし、まもなく1955年の『ミスタア・ロバーツ』でアカデミー助演男優賞を受賞。1959年に『お熱いのがお好き』に起用されてからは、ビリー・ワイルダー監督作品の常連となる。当初は単なるコメディアンと見られたが、1960年の『アパートの鍵貸します』のうだつのあがらないサラリーマン役や、1962年の『酒とバラの日々』でのアルコール依存症患者役などのシリアスな演技も見せて、現代人の持つ性格的ひ弱さを演じては右に出るものはいないとまで言われる。1973年の『セイブ・ザ・タイガー』でアカデミー主演男優賞を受賞し、主演、助演を獲得した最初の俳優となった。 1962年に女優のフェリシア・ファーと再婚し、1966年に娘コートニーが生まれている。 1966年の『恋人よ帰れ!わが胸に』で共演して以降、ウォルター・マッソーとは名コンビといわれ、何度も共演し、1971年にはマッソー主演の『コッチおじさん』を監督している。その後は、1979年の『チャイナ・シンドローム』や1982年の『ミッシング』のそれぞれの演技でカンヌ国際映画祭主演男優賞を受賞。 2000年7月に盟友のマッソーを亡くしてからは、体調が悪化していた。2001年6月27日夜、ロサンゼルスの病院にてガンの合併症で亡くなった[4]。 なお晩年、アメリカの名物番組『アクターズ・スタジオ・インタビュー』に出演した際に、自身がアルコール依存症であることを告白して周囲を驚かせた。 公開年邦題
生涯
主な出演作品
原題役名備考
1954年有名になる方法教えます
It Should Happen to You ピート・シェパード
1955年私の夫(ハズ)は二人いる
Three for the Show マーティ・スチュアート
ミスタア・ロバーツ
Mister Robertsフランク・パルバーアカデミー助演男優賞 受賞
マイ・シスター・アイリーン
My Sister Eileenボブ・ベイカー
1956年夜の乗合自動車
You Can't Run Away From Itピーター
1957年海の荒くれ
Fire Down Below トニー
1958年カウボーイ
Cowboyフランク・ハリス
媚薬
Bell Book and Candleニッキー
1959年お熱いのがお好き
Some Like It Hotジェリーゴールデングローブ賞 主演男優賞 (ミュージカル・コメディ部門) 受賞
英国アカデミー賞 主演男優賞 受賞
ハッピー・ロブスター
It Happened to Janeジョージ
1960年アパートの鍵貸します
The ApartmentC・C・バクスターゴールデングローブ賞 主演男優賞 (ミュージカル・コメディ部門) 受賞
英国アカデミー賞 主演男優賞 受賞
南太平洋ボロ船作戦
The Wackiest Ship in the Armyリップ・クランダル
1962年悪名高き女