エティエンヌ・ジャック・ジョゼフ・アレクサンドル・マクドナル
Etienne Jacques Joseph Alexandre Macdonald
マクドナル元帥
生誕 (1765-11-17) 1765年11月17日
フランス王国、スダン
死没 (1840-09-25) 1840年9月25日(74歳没)
フランス王国、ボーリュ=シャル=ロワール
所属組織フランス軍
軍歴1785年?1830年
最終階級帝国元帥
墓所ペール・ラシェーズ墓地
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エティエンヌ・ジャック・ジョゼフ・アレクサンドル・マクドナル(仏: Etienne Jacques Joseph Alexandre Macdonald, 1765年11月17日 - 1840年9月25日)は、フランス革命戦争とナポレオン戦争で活躍したフランスの軍人である。第一帝政と復古王政で元帥、ターラント公爵。 スダンでスコットランド系フランス人貴族の家系に生まれた。チャールズ小僭王とともにスコットランドからフランスに逃れてきたジャコバイトの末裔である。このために姓は英語読みでマクドナルドと書かれることがある[1]。 1809年にナポレオンから軍団長に指名され、さらに若いイタリア副王ウジェーヌ・ド・ボアルネの軍事顧問としての役割も与えられた。ワグラムの戦いでは彼の軍団の攻撃でオーストリア軍中央部を潰走させて勝利を導いた。 ターラント公爵の称号を与えられた。 1810年には半島戦争への支援に赴いた。また1812年ロシア戦役では左翼を担った。1813年のドイツ戦役ではリュッツェンの戦い、バウツェンの戦い
略歴
復古王政下では貴族に列している。百日天下の際にはナポレオンに与せず、ルイ18世を護衛している。1816年には、1814年憲章下での貴族院に加わっている。
脚注^ 一般的な慣習としては現地音に近い人名表記をするということになっているので、ここでは「マクドナル」となる。なお、「マクドナルド」もスコットランドでの本来の発音からはやや離れている(マクドナルド (曖昧さ回避) を参照)。
参考文献
⇒Heraldica.org- Napoleonic heraldry Macdonald was especially fortunate in the accounts of his military exploits, Mathieu Dumas and Segur having been on his staff in Switzerland.
M.Dumas, Evenements militaires
Segur's rare tract, Lecture sur la campagne du General Macdonald dans les Grisons en 1800 et 1801 (1802), and Eloge (1842).
His memoirs were published in 1892 (Eng. trans., Recollections of Marshal Macdonald), but are brief and wanting in balance.
表
話
編
歴
フランス第一帝政の元帥
オージュロー
ベルナドット
ベルティエ
ベシェール
ブリューヌ
ダヴー
グーヴィオン=サン=シール
グルーシー
ジュールダン
ケレルマン
ランヌ
ルフェーヴル
マクドナル
マルモン
マッセナ
モンセー
モルティエ
ミュラ
ネイ
ウディノ
ペリニョン
ポニャトウスキ
セリュリエ
スールト
スーシェ
ヴィクトル
典拠管理
BNE: ⇒XX5189550
BNF: cb14568581z (データ)
BPN: ⇒12380930
CANTIC: ⇒a10772340
GND: 118780999
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LCCN: no99037847
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Trove: 1309131
VcBA: 495/324277