ジャック・ホワイト
Jack White
基本情報
出生名ジョン・アンソニー・ギリス
John Anthony Gillis
生誕 (1975-07-09) 1975年7月9日(48歳)[1]
アメリカ合衆国ミシガン州デトロイト
ジャンルロック、オルタナティブ・ロック、ガレージ・ロック、ブルースロック、フォークロック、ブルース、パンク・ブルース、カントリー
職業Musician, producer, actor
担当楽器ヴォーカル、ギター、ドラム、キーボード、マンドリン、ベース・ギター
活動期間1990 ? 現在
レーベルワーナー・ブラザース・レコード、V2、サードマン
ジャック・ホワイト(Jack White, 出生名John Anthony Gillis, 1975年7月9日 - )は[2]、アメリカ合衆国のミュージシャン、音楽プロデューサーおよび俳優。様々なバンド、およびソロ・アーティストとして活動しているが、ザ・ホワイト・ストライプスのリード・ボーカリストおよびギタリストとして最も知られている。2012年4月24日、ソロ・デビュー・アルバム『Blunderbuss』を、2014年6月10日に2枚目のアルバム『Lazaretto』を発表した。どちらも商業的にも批評的にも成功した。
ホワイトは、デトロイトでいくつかのバンドでドラム奏者として活動した後、1997年、デトロイト出身でのちに妻となるメグ・ホワイトとザ・ホワイト・ストライプスを結成した。2001年のヒット・アルバム『White Blood Cells』からのシングルおよびミュージック・ビデオの『Fell in Love with a Girl』がヒットし、世界的名声を得た。これを機にロレッタ・リン、ボブ・ディランなどの著名アーティストとコラボレートする機会を得た[3]。
2006年、ホワイトはブレンダン・ベンソンとザ・ラカンターズを、2009年にザ・キルズのアリソン・モシャートとザ・デッド・ウエザーを結成した[4]。
ホワイトは批評的にも人気の上でも成功し続け、2000年代のガレージ・ロック・リバイバルの鍵となる人物の1人に数えられる。グラミー賞を8回受賞し、ソロ・アルバム2枚とも『ビルボード』誌のチャートで第1位を獲得した。『ローリング・ストーン』の選ぶ歴史上最も偉大な100人のギタリスト」において、2010年の改訂版では第70位にランクされた。2011年、同誌のライターであるデイヴィッド・フリックのリストでは第17位となった。
2007年の「Q誌の選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」においては第50位[5]。
ホワイトは著名なブルースのアーティストの物を含むヴィンテージのギターなどの楽器を多く収集している。アナログ技術とレコーディング技術を熱心に推奨し、アメリカ議会図書館の全米レコーディング保護協会の委員に名を連ねている。彼のレコード会社およびスタジオのサード・マン・レコードでは自身の作品同様他のアーティストや地元の児童の作品をレコードで出版している[6]。『Lazaretto』は、1991年より集計が始まった発売初週のレコード売上記録を塗り替えた。
ホワイトはプライベートをあまり明かさず、自身をわざと「風変わりな」キャラクターに見えるように作り上げている。2000年、メグと離婚。2005年、モデルで歌手のカレン・エルソンと結婚し、息子と娘をもうけたが2013年に離婚した。現在テネシー州ナッシュビルに住んでいる。 1975年7月9日、アメリカ生まれ。その類稀な音楽的価値観と才能から、音楽界では不思議な存在とされており、アメリカのルネッサンス的な人物と評されている。 1997年、メグ・ホワイトとザ・ホワイト・ストライプスを結成。初期のデルタ・ブルースを愛し、音楽に対してミニマリズムなアプローチをとり、アメリカ全土で一躍話題となる。 2005年、2つ目のバンドとなるザ・ラカンターズを、ブレンダン・ベンソン、ジャック・ローレンス、パトリック・キーラーと共に結成。“旧友たちによる新しいバンド”であるザ・ラカンターズの最初のシングル、『Steady as she goes』はたちまち大ヒット。デビューアルバム『Broken Boy Soldiers』は、ビルボードのアルバムチャートに初登場7位で入り、グラミー賞2部門でノミネートされた。2006年の世界ツアーでは、ボブ・ディランと同じスケジュールでアメリカを回り、ディランとはお互いにコンサートで数回ゲストパフォーマンスを行なっている。ザ・ラカンターズの2年目のアルバム、『Consolers Of The Lonely』(2008)も初登場7位を記録し、グラミー賞を受賞した。 2011年、ザ・ホワイト・ストライプス解散。
概説