ジャック・ニクラス
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ジャック・ニクラウス

 ジャック・ニクラス Jack Nicklaus

基本情報
名前ジャック・ニクラス
生年月日 (1940-01-21) 1940年1月21日(84歳)
身長5 ft 11 in (1.80 m)
国籍 アメリカ合衆国
出身地オハイオ州コロンバス
経歴
プロ勝利数115
優勝数
PGAツアー73 (歴代3位)
チャンピオン10
メジャー選手権最高成績
(優勝: 18)
マスターズ優勝: 1963, 1965, 1966, 1972, 1975, 1986
PGA選手権優勝: 1963, 1971, 1973, 1975, 1980
全米オープン優勝: 1962, 1967, 1972, 1980
全英オープン優勝: 1966, 1970, 1978
受賞
世界ゴルフ殿堂1974 ( ⇒member page)
PGAツアー賞金王1964, 1965, 1967, 1971, 1972, 1973, 1975, 1976
PGA最優秀選手賞1967, 1972, 1973, 1975, 1976
成績
優勝回数メジャー: 18勝 (歴代1位)
米国シニア: 10勝
初優勝1956年オハイオ・オープン
賞金ランク最高位米国男子: 1位(8度)
世界ゴルフ殿堂殿堂表彰者
選出年1974年
2012年7月5日現在
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ジャック・ニクラス(Jack Nicklaus、フルネーム:ジャック・ウィリアム・ニクラス(Jack William Nicklaus)、1940年1月21日 - )は、アメリカ合衆国オハイオ州コロンバス出身のプロゴルファー

1960年代から1990年代にかけて活躍し、ライバルのアーノルド・パーマーとともに、ゴルフをメジャースポーツにする牽引力となった人物である。圧倒的な強さと、トレードマークの金髪により「ゴールデン・ベア」 (熊) と称され、日本では「ゴルフの帝王」と呼ばれ、史上最高のゴルファーとも称される[1]

メジャー選手権ではボビー・ジョーンズの記録を破り、通算獲得ランキング歴代1位(優勝18回)。ジョーンズは「ニクラスは何事にも驚かないでいられるだけの周到な準備で、機械的に淡々とバーディーをとるゴルフをするので、私とはタイプが異なる」と評した。

ニクラスは日本の新聞などで表記揺れが多く、「ジャック・ニクラウス」という表記も見られるが、これはドイツ語読みに近い表記であり(本人はドイツ系アメリカ人)、英語発音に近い日本語表記は「ニクラス」となる。
略歴

少年時代は、元フットボールの選手で薬局を営んでいた父のチャールズ・ニクラスからゴルフを教わった。そしてニクラスが10歳の時、父の紹介によりゴルフレッスンプロであるジャック・グラウトの門下となり、その指導を受けた。ニクラスは父親とグラウトによる指導で、その素質を磨かれたのである。1959年に19歳でデビューし、1961年に全米アマチュア選手権のタイトルを獲得して、1962年にプロ入りする。同年の全米オープンがメジャー大会通算「18勝」の出発点であると同時に、ニクラスのプロ初優勝でもあった。1966年全英オープンで男子ゴルフ史上4人目の「キャリア・グランドスラム」を達成。前年の1965年に達成したゲーリー・プレーヤー (南アフリカ) に続く快挙であったが、その後2000年の全英オープンでタイガー・ウッズが達成するまで、34年間4冠達成者は現れなかった。

1980年のバルタスロールゴルフクラブ・ローワーコースでの第80回全米オープンにはグラウトとスイングを改造して臨んで、ショートゲームの鬼と化していた青木功と4日間同組でプレーした。バルタスロールは、パー70だが距離が長く、フェアウェイは狭く、ラフは深く、かつグリーンは高速の難コースであった。ニクラスは初日63のスコアでトム・ワイスコフと並んで首位タイのスタート。この年のマスターズ勝者セベ・バレステロスが午前9時45分のラウンド開始時刻に遅刻して失格というハプニングがあった2日目も、ニクラスは単独首位をキープ。第3ラウンド終了時点で、3日連続68で廻った青木と首位に並んだ。最終日6月15日は午後2時35分(日本時間16日午前3時35分)スタートの最終組で死闘を繰り広げた。アウトで青木は2、4、7、9番ホールでボギー、8番ホールでバーディで3つ、ニクラスは1つ、それぞれスコアを落として、ニクラスが2打リードしての折り返しとなったが、インでは互いに譲らず、ともに10、17、18番ホールでバーディをとり、この日のスコアはニクラス68、青木70で、ニクラスが2打差で逃げ切りの勝利となった。青木は12、16番ホールのバーディチャンスを逃したのが響いた。その後、松山英樹が2021年に優勝するまでの41年間、青木の2位入賞は日本男子ゴルフ界におけるメジャー大会最高記録であった。青木の4日間の総パット数は111であり、3パットは最終日の2番ホールの1回のみ。バンカーショットが得意な青木は、ボールをグリーン付近に止めるため、グリーン周りのバンカーを狙って打ったショットがあったという。

1986年の第50回マスターズでは長男のジャック・ジュニアをキャディに従えて戦った。最終日4月13日は首位と4打差のスタートだったが、アウト35イン30の驚異的追い上げで「46歳2ヶ月23日」の最年長優勝記録を樹立した時には、オーガスタ・ナショナル・ゴルフクラブに"Jack is Back" (ジャック・イズ・バック=ジャックが戻ってきた) の声が響き渡った。最終日のニクラスの詳細は以下の通り。2番ホールでバーディ。4番ホールでボギー。9、10、11番ホールでバーディ。12番ショートホールはボギー。13番ホールで2オン2パットのバーディ。15番ロングホールの第1打は、ドライバーでピンまで214ヤード地点に運び、第2打は4番アイアンでピン左3.5mに2オンして、1パットで沈めてイーグル。池越えの16番ホール (179ヤード、パー3) での5番アイアンでのティーショットはカップを嘗め、あわやホールインワンというスーパーショットでバーディ。17番ホールは、復活のメジャー優勝が目前で感極まり、涙でエイミングが定まらず「試合はまだ終わっていないのだぞ」と自分に言い聞かせてティーショットを打ち、ピン左4mからのバーディパットは、ほぼストレートの下りのスライスラインを読んで成功させた。9番ホールからの10ホールで、1イーグル、6バーディ、1ボギーの怒濤のフィニッシュであった。この大会でニクラスはレスポンスZTという名のアンサー型パターを使用した。1打差の2位には、18番ホールでセカンドショットをミスしてボギーとしたグレグ・ノーマンと18番のバーディーパットを惜しくも外して追いつけなかったトム・カイト。大会3日目には、2回目出場のニック・プライスがマスターズ史上初の63打で廻った(2021年現在もコースレコード)。

このマスターズの優勝祝賀会が開かれた時、ジャックの妻が集まった人々に最初にスピーチした言葉は有名。「私は、今日の優勝を素直に喜ぶことはできません。何故なら、夫が今日の勝利のために、どれだけのものを犠牲にしてきたか、知っているからです。」つまり、ジャックをしてそれだけの努力をしなければならず、46歳という年齢でマスターズを勝つことがいかに困難であったかを物語っている。

リー・トレビノらとともに、セント・アンドリューズのオールドコース開催の全英オープンを“別格”と考える一人である。オールドコースは海岸線に沿った真のリンクスコースだが、多数の小さな起伏やマウンドがあり、打ったボールが着地した後、どのようにバウンドするか、つまり運がスコアを左右するのだという。30歳で、ジョージ・ダグラス・サンダースとの18ホールのプレイオフの末に72対73の1打差でセント・アンドリューズ初制覇 (全英オープン2回目の優勝) したときは、「セント・アンドリューズで勝てて、私は初めてメジャー・チャンピオンになれたと実感した。ここで一度勝つことがどれだけ大変なことか。今回私もそれを改めて思い知らされた」とコメント。ターンベリーでのトム・ワトソンとの真昼の決闘における敗戦の翌年、38歳で再びセント・アンドリューズ制覇 (全英オープン3回目の優勝) したときは、「ここで勝つことが重要だった。本当に自分がナンバーワンでなくなったかどうかは、セント・アンドリューズの72ホールでわかる」とコメント。ニクラスは、最も好きなコースはセント・アンドリューズのオールドコース、最も良いコースは全英オープン初制覇の舞台スコットランドのミュアフィールド、人生最後のゴルフをするならペブルビーチゴルフリンクスであると述べている。

その他にも全豪オープンゴルフは6度 (1964年、1968年、1971年、1975年、1976年、1978年) 優勝した。ただし日本では未勝利のため、4大地域 (米、欧、日、豪) でのツアー制覇は達成できなかった。

1996年には、シニアツアーの四大タイトルもすべて獲得し、PGA、シニアツアー (現在はチャンピオンズツアー) の両方の四大タイトルを獲得した唯一の選手となっている。2005年、65歳になったニクラスは歴代優勝者の資格で出場を続けていたマスターズから引退し、同年の全英オープンもニクラスの引退の場とするため、(予定より1年繰り上げて) セント・アンドリューズで開催された。最後のホールとなった2日目の18番でバーディーを取り、ツアー選手としてのキャリアを終えた。マスターズの会場であるオーガスタ・ナショナル・ゴルフクラブにはニクラスの功績を称え、銅像が建てられている。

ニクラスは1979年6月から1987年6月まで、日産自動車の高級車「グロリア」の430 (ヨンサンマル) 型 (1979年6月?1983年6月) と、Y30 (ワイ・サンマル) 型 (1983年6月?1987年6月) の専属CMキャラクターを通算8年間にわたって務めた。


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