ジャック・ドゥルーアン
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ジャック・ドゥルーアン
Jacques Drouin
2017年カナダ、ケベック州モントリオールの映画館シネマテーク・ケベコワーズ(Cinematheque quebecoise)にて撮影
生誕1943年5月28日
モン・ジョリ, ケベック州, カナダ
死没2021年8月28日 (78歳)
別名フランス名:?ak d?w??
民族ケベック人
出身校Ecole des beaux-arts de Montreal
職業アニメーター
映画監督
1981 - 2004年 カナダ国立映画庁(NFB)常勤取締役
代表作1976年 Mindscape
1986年Night-angel
1994年 Ex-Child
2001年 A Hunting Lesson
2004年 Imprints
影響を受けたものガイ・L・コート
アルバート・ドゥモシェル
アレクサンドル・アレクセイエフ
クレア・パーカー
ノーマン・マクラレン
ジャン・ルノワール
ロジャー・コーマン
ソール・スタインバーグ
カール・ユング
影響を与えたものデニス・デジャルダン
ミシェル・レミュー
山村浩二
矢野ほなみ
受賞Mindscape:オタワ国際アニメーションフェスティバル特別審査員賞
Night-angel:デンマーク、ロサンゼルス、オーデンセ、リオデジャネイロ国際映画祭グランプリ
Ex-Child:1995年シカゴ国際児童映画祭ノーベル平和賞、1996年8月広島国際アニメーションフェスティバル特別賞、1997年ワールドアニメーションセレブレーション、ユニセフ賞
A Hunting Lesson:2002年11月3日シカゴ国際子供映画祭優秀賞、2002年4月14日ヒューストン国際映画祭特別審査員賞、2001年12月ニューヨークエキスポ審査員賞、2001年10月26日コロンバス青少年国際映画祭佳作
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ジャック・ドゥルーアン(英:Jacques Drouin、フランス語: [?ak d?w??] ; 1943年5月28日[1] ? 2021年8月28日[2]は、カナダ・ケベック人のアニメーター

生涯に渡り、世界で最も稀有なアニメーション技法であるピンスクリーンアニメーションで制作をした。代表作「心象風景/マインドスケープ」はオタワ国際アニメーションフェスティバル特別審査員賞。画家が絵の中に足を踏み入れ、自身の心象風景に出会っていく物語を幻影的に描き出した。また、人形とピンスクリーンアニメーションをコラボレーションさせた「ナイトエンジェル」や、ピンスクリーンアニメーションをカラー化させた「狩猟レッスン」など様々な実験に取り組んだ。テレビスポーツ番組の映像や画像編集の仕事も務め、仕事で関わった作品も含め数多く受賞。1981 - 2004年はカナダ国立映画庁(NFB)の常勤取締役を務めた。退任後、ピンスクリーンアニメーションのマスタークラスを設立し、ミシェル・レミューへ技術を伝えた。2021年8月28日 、78歳で脳卒中によって亡くなる。現在NFBビル(Ilot Balmoral)モントリオール本部にある一室は、ジャック・ドゥルーアンの作品名にちなんで「マインドスケープ(Le paysagiste)」と名付けられている。
作品視聴方法

[1]カナダ国立映画庁(NFB)の公式サイトから視聴可能。
ピンスクリーンアニメーション

ピンスクリーンアニメーションは、1930年代にアレクサンドル・アレクセイエフクレア・パーカーによって開発された技法である。

二人は1965年にピンスクリーンの初期モデル(プロトタイプ)を完成させ、それから更にNFBで研究を重ね、1970年に新しいピンスクリーンを3つ作った。その内の1つをジャック・ドゥルーアンは「アレクセイエフのピンスクリーンに関する3つの演習(1974年)」から「インプリント(2004年)」まで、作品制作に使用した。それが、「nouvelecrand’epingles(NEC)ピンスクリーン」である。
nouvelecrand’epingles(NEC)

NECは、剛性のあるフレームに保持されたビニールスクリーンを介して独自の穴に挿入された240,000本のピンで構成されている。

構成としては、まずフレームがあり、ピン(ピアノ線)を通したチューブがフレームに並べられている。一列並べたらその上にまたチューブを置いていき、並べ終わったら上から圧力を加えて固定して完成されている。

「チューブシステムの良いところは、すべてのピンに均等な圧力が加えられる点ですね。また、穴の部分は小さいから、撮影すれば目立たなくなって、問題にはなりません。」
1972年、新しく開発したピンスクリーンがNFBに買収される

「nouvelecrand’epingles(NEC)」は1972年にNFBに買収された。何十年もの間、世界で唯一機能しているピンスクリーンであった。 ジャック・ドゥルーアンの後継者、ミシェル・レミューもこの技法で、Here and the Great Elsewhere(2012)とLeTableau(現在進行中)を制作した。

 「ピンスクリーンテクニックには作り手を触発する力がある。制作中にアクシデントが起こると、そこに自分の考えていなかった新しい発見をしたり。」

 「そのなかで「これだ!」というもの(第3部「時の移ろい」)を作品にしたのが『風景画家』です。

「今(※2000年当時)使われているのはモントリオールの1台だけですね。同じタイプのピンスクリーンが3つ、パリにありますが、知る限りでは使われていないようです。作品の計画もあったんですが、それも20年前のことで、いまだに何も作られていません。」[3]

また、ジャック・ドゥルーアンは1965年に開発された初期モデル(プロトタイプ)をデモンストレーション用に使った。[3]ジャック・ドゥルーアンと、初期モデルのピンスクリーン



来歴
1943年  0歳 カナダ、モン・ジョリで誕生


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