ジャック・シャバン=デルマス
[Wikipedia|▼Menu]

フランス政治家ジャック・シャバン=デルマスJacques Chaban-Delmas

生年月日1915年3月7日
出生地 フランス パリ
没年月日 (2000-11-10) 2000年11月10日(85歳没)
死没地 フランス パリ
出身校パリ政治学院
パリ大学
所属政党共和国民主連合(UDR)
配偶者オディール・ハメリン
子女3人
サイン
フランス共和国
第4代首相
在任期間1969年6月20日 - 1972年7月6日
大統領ジョルジュ・ポンピドゥー
フランス
第18代国防大臣
在任期間1957年11月6日 - 1958年5月14日
大統領ルネ・コティ
テンプレートを表示

ジャック・シャバン=デルマス(フランス語:Jacques Chaban-Delmas、シャバン・デルマス、シャバンデルマス、1915年3月7日 ? 2000年11月10日)は、フランス政治家ドゴール派の重鎮で、ジョルジュ・ポンピドゥー政権にて第4代フランス首相を務めた。
生涯

1915年3月7日にパリに誕生する。本名はジャック・デルマスである。第二次世界大戦中はレジスタンス運動に参加し、多くの偽名を用いたが、その最後の偽名がシャバンで、戦後、正式にシャバン=デルマスと改名した。レジスタンス運動では旅団規模の部隊を指揮し、1944年8月のパリ蜂起に参加している。

リセ・ラカナルを経てパリ政治学院パリ大学を卒業。進党に入党するが、ド・ゴールと行動を共にし、ド・ゴール主義政党、フランス国民連合(RPF)を結成する。1947年から1995年までほぼ半世紀に渡り、ボルドー市長を務めるとともに、ジロンド県から国民議会議員として選出され続けた。1953年のド・ゴールの政界引退を受けて、シャバン=デルマスは、ド・ゴール派議員を糾合し、社会共和派を結成した。また、中道左派の政党連合である共和国戦線とも提携した。

1958年アルジェリア独立問題を受けて、ド・ゴールが政界復帰すると、シャバン=デルマスは、ド・ゴール派新党「新共和国連合」(UNR)結成に一役買い、第五共和政発足後、下院である国民議会の議長に選出されド・ゴールを支えた。1969年ド・ゴールが辞任し、後任の大統領にジョルジュ・ポンピドゥー首相が当選すると、シャバン=デルマスは後任の首相に任命された。シャバン=デルマスは、前年の1968年五月革命による社会的混乱を収拾するため「新しい社会」をスローガンに新内閣を発足させた。また、マスメディアに対する統制を緩和した。これはゴーリスト内の保守派からは、進歩的であると見なされることになった。シャバン=デルマスとポンピドゥー大統領の間には潜在的な対立も生まれるようになった。鋭い風刺で知られるカナール・アンシェネ紙は、シャバン=デルマスを脱税容疑で批判した。

1974年4月2日にポンピドゥーが死去すると、シャバン=デルマスは、ドゴール派の候補者として後継大統領選挙に立候補する。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:25 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef