ジャック・ウォーデン
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Jack Warden
ジャック・ウォーデン

本名Jack Warden Lebzelter
生年月日 (1920-09-18) 1920年9月18日
没年月日 (2006-07-19) 2006年7月19日(85歳没)
出生地ニュージャージー州ニューアーク
国籍 アメリカ合衆国
職業俳優
活動期間1948年 - 2000年
配偶者Vanda Dupre
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ジャック・ウォーデン(Jack Warden, 1920年9月18日 - 2006年7月19日)は、米国俳優
来歴

ニュージャージー州ニューアーク生まれ。ジャック・ウォーデン・レブツェルターの息子として、誕生名はジョン・H・レブツェルター[1]

ケンタッキー州ルイビルで育つ。17歳の時、喧嘩沙汰で高校を放校になる。彼は喧嘩が強く、ジョニー・コステロ名義で、ウェルター級のプロボクシングに転向する。生活に困っている時は、ナイトクラブの用心棒としても働いたという。彼は1938年米国海軍に入隊し、揚子江沿岸のパトロールに3年間従事した。海軍より貨物船の仕事の方が支払いが良かったが、長い国外での航海は退屈だろうと思い、1942年米国陸軍に入隊し直した。配属された第101空挺師団では、1944年6月のノルマンディー上陸作戦に加わる直前、夜間降下訓練で脚を負傷してしまう。

療養中、元役者だった同僚が劇の台本を読んでいたことから、演劇に目覚める。傷が癒えた後、ナチス・ドイツの逆襲であるバルジの戦いに復帰し、最後は軍曹になるが、終戦後、復員兵援護法を基に役者の道を歩み出す。

彼はニューヨーク市の演劇学校に通い、プロの俳優として1947年ダラス・アレイ・シアターに加わる。芸名のジャック・ウォーデンは、父親のミドルネームを拝借したのである。この劇団は、1940年代から1950年代のテネシー・ウィリアムズの舞台劇を上演していたという。ニューヨークからテキサスまでの5年間におよぶ上演は、彼に古典劇から現代劇までの素地を与えた。そして、1948年にはテレビデビューを果たす。

しかしウォーデンは、あくまでアーサー・ミラーの『セールスマンの死』の上演にこだわり続けた。彼は1952年にクリフォード・オデッツの『ゴールデン・ボーイ』の再公演とアーサー・ミラーの『橋からの眺め』の3年越しのオリジナル公演で、ブロードウェイ・デビューを果たす。映画でも1951年に端役デビューする。この作品での共演は、第二次世界大戦でのベテラン(海軍出身で南太平洋戦線で戦っていた)リー・マーヴィンとまだチャールズ・ブチンスキーと名乗っていたチャールズ・ブロンソンである。

スポーツマンらしい体型のため、彼には兵士の役が多くまわってきた。フランク・シナトラモンゴメリー・クリフトが共演した『地上より永遠に』(1953年)も、その中の1本である。

その作品以外でも、『十二人の怒れる男』(1957年)での、まるでやる気のないヤンキース・ファンの陪審員7番を演じて、大いに注目を受けるようになる。また、『暴力波止場』(1957年)での頑固な親方役や、クラーク・ゲーブルバート・ランカスターと共演した『深く静かに潜行せよ』(1958年)でも注目を浴びる。また、テレビの人気シリーズ『トワイライト・ゾーン』の1挿話では、それまで演じてきた役とはうって変わり、繊細な役どころに挑んだ。

1960年から1970年代初めまでは、『アスファルト・ジャングル』(1961年)のような、テレビ映画の刑事役がはまり役であった。また1970年代には、『ブライアンズ・ソング』での感動的なフットボールのコーチ役でエミー賞を獲得する。『がんばれ!ベアーズ』(テレビシリーズ、1979年 - 1980年)でもコーチ役を演じた。

ウォーレン・ベイティとの共演作である『シャンプー』(1975年)と『天国から来たチャンピオン』(1978年)では、コメディの資質を見せつけた。


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