ジャックス_(バンド)
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ジャックス
別名ナイチンゲイル
出身地
日本 東京都町田市
ジャンルサイケデリック・ロック
プログレッシブ・ロック
ニューロック
活動期間1965年 - 1969年
レーベルタクト
(1968年)
日本コロムビア
(1968年)
東芝音楽工業→東芝EMI
(1968年-1971年、1986年)

メンバー早川義夫
谷野ひとし
木田高介
角田ひろ

旧メンバー松原絵里
高橋末広
水橋春夫

ジャックスは、1960年代後半に活動した日本サイケデリック・ロックバンド。活動当時は一般的な人気を得ることもなかったが、解散後、日本のロックの先駆者として高い評価を受けるようになった。
活動の記録

1965年夏 -
和光高校東京都町田市)の同級生、早川義夫、高橋末広、松原絵里の3人が「ナイチンゲイル」を結成。これがジャックスの前身にあたる。

1965年秋 - 早川と高橋でオリジナル曲を制作。タイトルは「セブンティーン」「ふるさとの歌[1]」「なぐさめ」「神様と僕達」。

1966年夏 - フジテレビのフォークソング合戦に「ウィンドミルズ」の名称で出場。松原絵里が脱退。バンド名をジャックスに変更。

1967年1月 - 谷野ひとしが加入。

1967年5月 - 高橋末広が脱退し、木田高介、6月に水橋春夫が加入。早川義夫(ボーカル)、水橋春夫(ギター)、谷野ひとし(ベース)、木田高介(ドラム)の4人による活動開始。

1967年7月30日 - 第1回「ジャックス・ショウ」開催(新宿・日立ホール)。

1967年9月24日 - ヤマハ・ライト・ミュージック・コンテスト全国大会で2位に入賞。

1968年2月3日 - 若松プロ映画「腹貸し女」音楽を録音(目黒スタジオ)。(CD化)。

1968年3月 - シングル「からっぽの世界 / いい娘だね」でタクトレコードからデビュー。

1968年5月21日 - ディレクター朝妻一郎と正式契約。

1968年7月24日 - 第2回「ジャックス・ショウ」開催(東京・日仏会館)(CD化)。

1968年9月1日 - 日比谷野音のイベント終了後、水橋春夫が脱退を申し入れる。

1968年9月10日 - 1枚目のアルバム『ジャックスの世界』を発表。

1968年11月 - 角田ひろ(ドラム)が加入。木田高介はドラムからサックスやフルート、ヴィブラフォンに替わる。

1969年3月21日 - 第3回「ジャックス・ショウ」開催(大阪厚生年金会館中ホール)(CD化)。

1969年3月31日 - 第4回「ジャックス・ショウ」開催(東京厚生年金会館小ホール)。

1969年6月15日 - 近畿放送(現KBS京都)『みんなで歌おうフォークフォーク』公開番組に出演(CD化)。

1969年7月25日 - 第5回「ジャックス・ショウ」のステージ上で解散を宣言。

1969年8月9日 - 第1回全日本フォークジャンボリーの出演(午前4時ごろに登場)を最後にジャックスは解散。

1969年10月10日 - 2枚目のアルバム『ジャックスの奇蹟』が発表される。

ジャックスの音楽性

ジャックスの特徴は、若者の心の内面の悩みや葛藤を前衛的に表現する歌詞と、早川の情念的な歌唱、そして、木田のジャズを指向した音作りにある。

当時の音楽界では、商業的に大衆の嗜好に焦点を合わせがちなグループ・サウンズと、直截的な歌詞と演奏が主体であったフォークソングが若者の間に支持されており、一部のファンを除き、ジャックスが一般的な支持を受けることはなかった。のちに早川は解散の理由について、「率直に言って、解散の最大の理由は売れなかったこと。もう少し売れていれば解散しなかったと思う」と述べている。

一線を画した独自の精神性や思想性のある音楽活動は、むしろ演劇界におけるアンダーグラウンドアングラ演劇)に近いものがあった。

しかし、プログレッシブ・ロックを思わせるジャックスの楽曲と活動は、後にフォーク・クルセダーズはっぴいえんどと並んで、欧米の模倣ではない「日本のニューロック」に先鞭をつけたバンドとして再評価を受け、現在では高い評価を得ている。


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